プロフィール

真面目で簡潔なプロフィール

竹端 寛(タケバタ ヒロシ)。1975年生まれ。現在、山梨学院大学法学部政治行政学科専任講師。専門は障害者福祉論、地域福祉論、ボランティア・NPO論。大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程修了。博士(人間科学)。詳しくは以下のHPも参照。 http://www.ygu.ac.jp/university/seijigyousei/takebata-hiroshi.html

「こぼれ落ちた」プロフィール

ここでは「問わず語り」で、はみ出しプロフィールをご紹介いたします。

■昔から福祉に興味があったのですか?

正直言って、福祉に興味を持ち始めたのは大学に入った後です。中学時代から 「どくとるマンボウ」シリーズで知られた北杜夫さんの作品が大好きで、彼が精 神科医でもあったから僕も精神科医に、なんてミーハーな考えをしていました。 一方、高校時代から河合隼雄やユングの邦訳を読み囓り、臨床心理学講座もある 阪大人間科学部に入学。でも、大学では社会学の方に興味があり(というか心理学実験をサボってしまい)、結局心理学からは離れました。

大学1回生の冬に起きた阪神大震災では、実家のある京都はあまり被害がひどく なかったのですが、私の家は11階にあり、本棚が倒れてきて怪我をしたり、食 器がぐしゃぐしゃになったり、と結構な被害を受けました。で、「他人事」に感 じられず、その後震災ボランティアに。それがご縁で、2年生以後は色々な福祉 系のボランティアにどっぷり浸かっていきます。

3年生の冬、あるボランティアが一つの区切りを迎え、それと同じ頃から就職活 動をはじめてみました。小学校の頃からマスコミ・報道関係にも憧れていたので、 マスコミに入るにはどうしたらいいのか、を相談したくて、当時阪大の客員教授 をされていた朝日新聞論説委員の大熊由紀子さん(後の指導教官)に相談に行っ たんです。そのとき、大熊由紀子さんから言われた一言が、胸にずしんと響きま した。 「新聞記者って、何年も修業時代があって、その間は自分のしたいことが出来な いけれど、竹端君、それでもいいの?」 当時、色々なボランティア現場体験から何となく福祉にずっと携わりたい、と思っ ていた僕にとって、「何年もの修業時代」を自分の好きじゃないことに傾けるのか、 と思うと、暗澹たる気分でした。そんな折に、僕が大学院に入る年から、僕の出身学科に「ボランティア人間科学講座」なる講座ができ、そこの大学院の初代教 授に、著名なジャーナリストである大熊一夫さんがなられる、とも聞きました。 そこで、「著名なジャーナリストの弟子になれるのはまたとないチャンス」とば かりに、大学院進学を決意した、という感じです。

■では、なぜ精神障害者のことを専門に?

大熊一夫さんの「ルポ・精神病棟」というのが、朝日文庫から出ているのは知っ ていました。でも、正直言ってタイトルが何となく恐ろしくて、一度も読んでい ませんでした。大学院に入学当初も、障害者ではなくボランティア活動などを通 じて知っていた(つもりであった)高齢者福祉をしたい、と言っていました。

とはいえ僕自身に具体的なプランはなく、どうしたらいいか途方に暮れていた修 士1年の六月頃、大熊一夫さんからこう言われたんです。 「竹端君、すべての福祉的問題は精神病院に詰まっているよ。僕の知り合いが京 都の精神病院の院長だから、一度行ってみないか。」 自分のやりたいことも定かでなく、一期生で先輩もおらず、どうしていいのかわ からないところに、救いの一声。気付けば、精神病院でのフィールドワークを開 始していたのでした。

■いきなり精神病院、ですか?

正直言って、最初はおっかなびっくりでした。福祉学部の学生さんなら、おそら く精神病院の歴史的変遷やその実態などについて勉強しているでしょう。でも僕は、精神病院の中に入るまで全く何の予備知識もなかった。 だから、フィールドワーク初日、いきなり閉鎖病棟に連れて行かれ、夕方までそ の病棟いたのですが、本当に泣きそうでした。わけのわからぬ空間で、わけがわ からないまま、偏見や怖さ、不安、恐怖で恐れおののいていました。病棟の鍵を 開けるたびに鳴り響く「ビー」という警報音、保護室から看護師を呼ぶ患者さんの声、詰め所まで来る患者さんの様子・・・一つ一つに全くなじめず、告白する と一日中パニックでした。 でも、だんだん毎週閉鎖病棟に通い続ける中で、だんだんその空間に慣れてきて、 病棟で患者さんと喋ったりするうちに、少しずつ、何となく、フィールドワーク がスタートしていました。

■その後精神病院にはずっと関わっているのですか?

結局博論を書き終わるまで、五年近く、毎週火曜日の午後は原則的にフィールド ワークに当てていました。僕が一番しっくりきて、4年以上フィールドワークの 対象にしたのは、閉鎖病棟ではなく、病院と社会とをつなぐ精神科のソーシャル ワーカー(PSW)のお仕事でした。 患者さんのいろんな社会的支援要請(例えば、水漏れした、引っ越ししたい、大 家さんと交渉したい、退院のための訓練をしたい、自己破産したい・・・)に答 えるべく、獅子奮迅しておられるPSWのお仕事は、精神病院という特殊空間の 中から社会とつながる「パイプ役」の部分です。そんなPSWが仕事をしておら れる「相談室」は、入院患者さんや地域で暮らす通院患者さんのたまり場兼オア シスのような場所でもあり、僕にとっても病院内で一番心理的にも「落ち着ける」 場所でした。そこで僕自身、色々な出会いがあり、やがて関心の眼差しは「病院 から外へ」と転換していきました。

(つづく)