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<title>スルメ　コラム</title>
<link>http://www.surume.org/column/blog/</link>
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<language>ja</language>
<copyright>Copyright 2008</copyright>
<lastBuildDate>Mon, 17 Nov 2008 22:20:15 +0900</lastBuildDate>
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<title>プレイングマネージャーとして</title>
<description><![CDATA[<p>今宵は「かいじ」車内の人。三重の五回研修で一応無事に「留めを打つ」ことが出来、文字通り「肩の荷が下りた」状態で、のぞみ号から最終一本前の「かいじ」に辿り着いた。</p>

<p>それにしても市町職員研修（三重は合併で村がないのです）を、実際、市町が今年度課題として取り組んでいる「障害福祉計画の見直し」という大テーマにぶつけ、困難事例の「捉え直し」、給付率分析から自分たちで「見直し原案」を考える研修、というのは、受講者側だけでなく、企画者側にとっても「言うは易く行うは難し」の見本のような内容だった。私自身も、従来の一回こっきり研修なら「言いっぱなし」で逃げることが容易に可能だったのだが、今回はこの研修→実践の成果を、市町さんもアテにしているだけでなく、県もご自身の障害福祉計画作りに大いに参考にされる、という。まさに、どこまで何が出来るのか、が本当に問われる研修だった。それゆえに、第４回から５回にかけての内容の作り込みが、実に大変だったのである。</p>

<p>だが、今回相当手間暇かけて、また県担当者だけでなく、受講生の立場から研修企画者側にご一緒してくださったＭ市のＭさんのお力添えも多分に活用し、かつ見学者のつもりだったミヤモトさんも巻き込む中で見えてきたのは、本当の人材育成は、今回やったくらいの「手間と暇、そして知恵と情熱」を必要としている、ということだった。逆にいえば、これほどの「手間・暇・知恵・情熱」をかければ、その地域の特性にあった、やった甲斐のある研修、明日の施策の改善につながる実践型研修が可能なのだ、ということも、やってみてよくわかった。今、山梨でサービス管理責任者研修の組み立てもこれと同じ線でやっているので、この部分は本当に実感として感じる部分である。また、終了後の反省会でちらっと見た受講者の感想の中にも、「議論の時間が足りなかった」「来年度もこういう研修を受けたい」「光が見えた」という嬉しい声が載せられていたことも、嬉しい限りだ。</p>

<p>やっつけ仕事でなく、魂を込める仕事は、正直へとへとになる。だが、そういう中から何かが変わる契機になるのであれば、やりがいは一塩だ。いつもブログを見てくださるＭ先生が「タケバタさんはプレイングマネージャーだね」と仰ってくださったが、確かにその方向で仕事をしているのかもしれない。プレイヤーとして、システム作りに関わりながら、マネジャーとして人びとの意識付けや現任者教育にも関わる。乗りかかった舟なので、しばらくこの路線で突き進んでみようかしら。ちょっとくたびれるけれども。</p>]]></description>
<link>http://www.surume.org/column/blog/archives/2008/11/post_322.html</link>
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<category>四方山話</category>
<pubDate>Mon, 17 Nov 2008 22:20:15 +0900</pubDate>
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<title>研修の５つのステップ</title>
<description><![CDATA[<p>先週３０度の世界にいたとは思えないほど、日本は寒いし、タケバタは目まぐるしい。</p>

<p>帰国日の水曜日は甲府まで戻ってスーツケースを家に置いたら大学に戻って臨時ゼミ。木曜日がちょうど昭和町で「学生議会」。我が２年ゼミ生が二人議場で質問するので、その予行演習が必要だった。予行演習をして、心を込めた質問をする為の練習をみっちりしたので、カトウくんもカミジョウさんの二人とも、実に立派な発表をしてくれた。木曜の質問の後、何人かの関係者の方々にも褒めて頂き、ゼミ教員としては一段落。</p>

<p>その後木曜夜は大学で最低限の火曜の授業の準備。というのも、金曜日は一日山梨県でケアマネ研修に立ち会い、その後講師の北野先生と一緒に京都まで戻り、夜１０時半から西大路駅までナカムラ君と久しぶりにウダウダ。土曜日は絶対に外せない大阪精神医療人権センターのシンポジウム。その後懇親会→打ち上げと続いて、翌朝は三重へ。来週も三重なので、月刊ミエから、週間ミエ状態だ。来週の研修のための打合せをみっちり５時間ほど行い、ワイドビューふじかわ号の人となる。そして、今回もまた、ふじかわ号読書で、実に多くの刺激を受ける。</p>

<p>「安定状態から集団を活性化するために、『揺さぶりのマネジメント』が必要とされる。集団を揺さぶり、安定の眠りから覚醒させ、そして新しい方向へと導くためのマネジメントである。そのためにしばしば必要となるのは、次のような五つのステップだと思われる。<br />
@かき回す（あるいは、ゆらぎを与える）<br />
A切れ端を拾い上げる<br />
B道をつける<br />
C流れをつくる<br />
D留めを打つ（あるいは、仮り留めを打つ）」<br />
（伊丹敬之『経営の力学』東洋経済新報社、p29)</p>

<p>三重で「チーム三重」の皆さんと共に作り上げようとしている市町職員エンパワメント研修が、まさにこの５つのステップであり、かつここしばらく苦労して、日曜の午後にようやくたどり着いたのが、CとDの事だったので、「留めを打つ」という発言には思わず「その通り！」と叫びそうになった。そして僕が従来型の研修で物足りなかいと感じていたことも、この５つのステップの中に書かれているので、深みを感じてもいた。</p>

<p>講演で呼ばれて、僕はアヤシイ人間なので、どこでもだいたい「かき回す」。しかし、その一回こっきりでオシマイなので、単に「あいつはかき回しやがって」でおわりがちだ。思えばそれ故にしばらく干された領域もあったように最近伺っている。ま、干された本人は無頓着なのであまり気にしていなかったのだが。で、山梨でも三重でも、連続研修のコーディネート側に回り始めて、一番力を注ごうと気にしているのが、このA以後のステップだ。そこで、B以後はだいたいどの研修でも大切にされているが、ここで肝心なのはAの「切れ端を拾い上げる」というステップだと思う。この点について、伊丹氏はこんな風に書いている。</p>

<p>「かき回された人々がやり始める様々なことの中から、きらりと光るもの、その組織のあるべき姿を示唆するようなことをマネージャーが取り上げることである。切れ端とは、現場の小さな提案であり、試みである。それをマネージャーがわざわざ拾い上げることによって、その切れ端が象徴するような方向こそが組織全体が進むべき方向であることを、マネージャーが示していることになる。そればかりでなく、その拾い上げられた切れ端をそもそも作りだしたメンバーの立場からすれば、『こういう切れ端を持って行けば取り上げてもらえるのだ』という刺激にもなっている。」（同情、p30)</p>

<p>そういえば、金曜の山梨の研修で、三田優子さんが堺市の自立支援協議会の成果を話して下さっていたが、まさに三田さんもこのAを重視しておられた。現場のワーカーさんや当事者達が大切だと思うことを取り上げ、それを深めるための助言をしておられる。これは、後々の「道をつける」ための大切な「切れ端」であり、それを協議会座長として、メンバーと一緒になって拾い、深める営みをしておられるから、変革が起こり始めているのだろう。</p>

<p>三重の研修でも稚拙ながら模索してきたのは、このAのステップだった。二回目の研修で参加者の声を聞きたい、と当日研修に参加している３人のベテランワーカーに「インタビューする」ということをやってみた。これが、多くの参加者にとって、大きな転機になりはじめる。自らのピアの立場の他の行政職員の中に、これだけのことをやれている人がいる、という気づきは、外部者から「揺さぶられる」だけでなく、「その切れ端が象徴するような方向こそが組織全体が進むべき方向であることを」自分自身で気づくきっかけにもなったのだ。</p>

<p>ゆえに、それ以後の研修で「道をつけ」、「流れをつくる」過程も自ずと決まってきたし、しつこいタケバタは、拾った「切れ端」をしゃぶり尽くすように使い、発言して頂いた方も企画側に急遽合流して頂き、一緒にデザインをしてきた。そして、研修以外に３回三重に足を運んで打合せで苦しみながら、昨日の夕方、ようやく「留めを打つ」目処がついたのだ。</p>

<p>さて、今日は山梨でケアマネ研修３日目。金曜日に三田さんと北野さんという強力なコンビで「揺さぶり」は十分にかかった。今日の「ケアマネジメントの展開」を通じて、どう「道をつける」ことが出来るか、が問われている。そういう展開になるように、意識して出かけなければ。そんなことも気づかされた、有り難い一冊であった。<br />
</p>]]></description>
<link>http://www.surume.org/column/blog/archives/2008/11/post_321.html</link>
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<category>四方山話</category>
<pubDate>Mon, 10 Nov 2008 06:46:02 +0900</pubDate>
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<title>＋２０度の街角より</title>
<description><![CDATA[<p>日曜日の朝４時の甲府は、１０度を下回る気温。Tシャツに長袖シャツ、そしてフリースではあまりに寒い。マフラーを首に巻いても、ブルブル震えていた。だが、成田空港から乗り込んだチャイナ・エアラインでは機長が「現地のただいまの気温は摂氏２８度」なんて言っている。ご冗談でしょう、というか、英語のヒアリングに問題がある、と思っていたのだが、現地に到着して、唖然。確かに暑い、むしむししている。温度計は３０度！　＋２０度の世界に辿り着いてしまった。</p>

<p>台湾にやってきたのは、とある学会で発表するから。今、山梨や三重でお手伝いさせて頂いている、地域自立支援協議会という組織について、障害者福祉政策における地方分権と裁量権の行使、それにリーダーシップの観点から議論しようとしている。酷い英語原稿だったのだが、いつもお世話になっているミヤモトさんにかなり助けてもらって、ようやく<a href="http://www.welfareasia.org/5thconference/session-3/#000073">まともな文章</a>になった。明日発表なので、実は内心どきどきしている。ちゃんと話が出来るかなぁ、と。</p>

<p>今回、今まさに生起している問題を、しかも英語論文でまとめようとして、かなり苦しんだ。もちろん、自分の当該問題に対する視点や論点が固まっていないことも、かなり発表するにあたって困難な要因だ。だがそれ以上に、英語で論理を組み立てる事が、単に語学音痴である以上に、苦痛をもたらす。それは、自分の論理がかなりいい加減である、という問題点だ。</p>

<p>これについて、日本を出る前に、非常に示唆的な本を読んだ。藤田斉之氏 (『英作文・英語論文に克つ!!―英語的発想への実践』、創元社）によれば、日本語は話し手中心の言語の典型例であるのに対して、英語は聞き手中心の言語の典型である、というのだ。つまり、日本語では話者がしゃべりたいようにしゃべり、わからなければ、往々にして、それを聞く側のリテラシーの問題とされる。だが、英語では、聞き手がわかるように話す義務が話者に課せられており、伝わらないのは、話者のせいである、という思想なのだ。この論理を自分の英語と日本語に当てはめると、悲しいほど同意してしまう。</p>

<p>日本語で論文を書いたり学会発表している時、論旨はクリアでなくても、特に学会発表時などは、日本語でべらべらしゃべれてしまうので、まくし立てて無理矢理話を作ってしまうことがある。一旦アヤシイ論理でも自分の中で出来あがってしまうと、そのロジックに自家薬籠中（＝自家中毒？）となってしまい、そのドツボの陥穽について気づくことなく、そのままわかった気になって文章を書いたり、発表を終えたりする、という無謀なことを、実に安易にしてしまっている。</p>

<p>だが、英語論文ではそれが許されない。自分の論理が相手に伝わっているか、が最大の論点になるのだ。文学的美しさ、というよりも、プラクティカルな意味で「話が通じる」ということが大切なのだ。自家中毒的なナルシスティックな文章などもってのほか。論理の陥穽にはまることなく、理解しやすい論理をどう組み立てるか、が最大の焦点になっているのである。文化や母語が違う相手にでも伝わりやすい文章・話を目指すこと、それは自分の論理がどれだけシンプルで、相手に伝わりやすい流れか、が露呈するリトマス試験紙でもある。そして、僕の場合往々にして、自分の論理がシンプルではなく、伝わりやすくない流れである、とわかってしまって、ぐったりするのだ。</p>

<p>そうはいっても、何とかパワポと当日プレゼン用の原稿も用意した。後は、明日午前中を乗り切ればいいだけだ。不安もあるけど、この間疲れていて、だいぶ眠いので、今日はこの辺で。</p>]]></description>
<link>http://www.surume.org/column/blog/archives/2008/11/post_320.html</link>
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<category>四方山話</category>
<pubDate>Mon, 03 Nov 2008 22:16:48 +0900</pubDate>
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<title>五箇条の類似性</title>
<description><![CDATA[<p>気がつけば１０月おわり、カーラジオからは「後二ヶ月で今年も…」という声が聞こえてくる。今日の甲府はめちゃんこ寒くて、最高気温が１５度程度。車の暖房もこの冬初めて強めに入れた。</p>

<p>まあこの１週間も、目の回る一週間、そのものだった。１週間前の三重の研修は、満足もして頂いたが、次回に向けての課題もてんこ盛りだった。「現場の人に、明日から役立つ研修を」をテーマに、東京のMさんと神戸のOさんのお二人のゲストにも助けて頂きながら、の研修なのだが、設定した課題「困難事例から福祉計画へ」という設定が高すぎたため、なかなか求めるゴールにたどり着かない。受講生の質がどうの、という話ではない。時間が足りなさすぎる、ということが、この研修の中で明らかになった。本来なら３日くらい、じっくり時間をかけてやるべきなのを、２日分でやろうとするから無理があるのだ。</p>

<p>そう言えば、スウェーデンで行政職員の研修の機会を垣間見ることがあった。以前、<a href="http://www.surume.org/column/blog/archives/2006/09/post_179.html">グルンデンの知的障害当事者と支援者が介護の専門学校で講演するのを聞きに出かけた</a>時のこと。あれは海の近くの快適なホテルか、セミナーハウスのようなところ。広々とした空間でくつろいだ雰囲気。１時間半に一度は必ずコーヒーブレイクの時間があり、お昼は昼食会場で結構豪華なお昼ご飯を食べた。そういうリラックスした空間だからこそ、普段とは違う気持ちで、新しい研修内容もすっと頭に入ってくる。だが、時間的にもキツイ講義＋演習を、詰め詰めの会場でやっていると、集中力が続かず、文字通りの「酸欠状態」になってしまう。帰り、東京駅でMさんと別れた後、言いようのない疲労に襲われていたのだが、多分にこの物理的・時間的な制約に起因するところが少なくない。（もちろん研修のデザインの問題もあるが）。そんなことを考えていた時、ふと浮かんだのが、先に挙げたスウェーデンの研修風景だったのだ。やはり、研修デザインは、余裕を持ってやらなきゃね、と肝に銘じていた。</p>

<p>で、土曜日は少しは休めたのだが、日曜日から再びドタバタが再開。日曜日は研究室の外は学祭真っ盛りだが、こちらは火曜の二コマの講義準備に追われる。というのも、月曜日から障害者相談支援従事者研修が始まったからだ。月曜はしゃべり手でもあるが、僕自身、昨年同様企画側にもまわっているので、１回を除き５回のシリーズ、全部に立ち会う事になる。すると、月曜日はこの後ジムに行ったらすっかり夕方。火曜日は２コマしたあと、２組のお客様を迎えたら、これでタイムアウト。水曜日は逆に３コマ授業をして県庁で今度は高齢者の主任ケアマネの研修のために、キーパーソンとなって下さる方との意見交換会。これも結果的に４時間くらいかかって、県庁を出る頃には外は月夜。で、木曜日は授業の後、夕方今度は東京へ。しかも、電車の中ではパタパタPCにかじりついている。そう、文科省関連の来年度の研究費申請の学内受付が、今日金曜日の〆切なのだ。日曜日あたりからボチボチ取りかかったが、形にするには時間がかかる。結局ここ数日、毎朝５時起きでキーボードを叩きまくって、何とか今朝、提出。やれやれ。</p>

<p>とはいえ、今日も一日、行事が目白押し。午前中は地域移行に関する県のお仕事があり、終わるやいなや県民文化会館へ。社会福祉協議会の総会があり、その後「ミニ講演」が出番だったのだ。で、今回「ミニ」な理由は、私の前に、高齢者劇団の方々による「リフォーム詐欺」のコミック劇があり、その解説編で権利擁護課題をお話しする、というお仕事だった。そこで、演劇中に、騙す側が相談しているシーンで使われた「リフォーム詐欺の心得五箇条」がなかなか心憎い。その五箇条とは、確かこんな感じだった。</p>

<p>その１，人のよさそうな家を狙う<br />
その２，丁寧な言葉と笑顔で接近する<br />
その３，相手の気づかない点を指摘する<br />
その４，時々専門用語も使う<br />
その５，小さい仕事をやって、段々大きな仕事へと変える（次々販売）</p>

<p>この五箇条を見ていて、ふと気づいた。これって中途半端な研究者だってそうかも、と。</p>

<p>相手の気づかない点（その３）を、時には専門用語を交えて話す（その４）のは、この生業の得意技。でも、実力がない人は同業者には見透かされるので、なるべく包容力の多い素人相手のごまかしになりがちとなる（その１）。自分に自信がないから、勢い必要以上に丁寧な言葉と笑顔で接近する（その２）。で、小さな仕事でつけいる先を見つけたら、徐々に大きな詐欺的仕事に発展する（その５）。詐欺商品が、住宅改造という実物か、理論なり研修というパッケージなのか、という違いがあっても、笑えるほど、類似点がある。僕が、「研究詐欺」になっていないか、そのチェックを自らの方に向けると、何とも覚束ない…。</p>

<p>「研究詐欺」にならないためには、当たり前すぎて愚問だが、「新たな勉強をし続けるのか？」がまさに問われている。忙しくても、何とか勉強の時間は確保しなくちゃ。そう思いながら、日々の「緊急」課題に囲まれている。その中には「緊急だが重要ではない」仕事も含まれているのに、緊急モードで対処するうちに、「急がないけど重要」という課題（例えば上記の勉強など）がすっぽり抜けてしまいそうなのだ。あぶない、あぶない。</p>

<p>時間がないのを言い訳に色々したいけれど、それを言っちゃあオシマイだ、と改めて感じながら、劇団のお芝居を舞台袖から眺めていた。</p>]]></description>
<link>http://www.surume.org/column/blog/archives/2008/10/post_319.html</link>
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<category>四方山話</category>
<pubDate>Fri, 31 Oct 2008 23:02:55 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>現場と研究と</title>
<description><![CDATA[<p>今朝も三重にいる。いつもの駅前のホテルだが、今朝は５度目にして初めて、海側ではなく山側の部屋。雨の津の街を眺めていると、甲府とも京都とも違う、町並みから田んぼ・林、そして山並みへと続く風景が実に面白い。</p>

<p>さて、今日は以前から何回か事前打ち合わせをしていた、市町村職員エンパワメント研修の当日。お題となっているのは、「「『困難事例』を福祉計画にどうつなげるか」。福祉の現場では、都会や田舎に限らず、全ての問題が円満に解決されるわけではない。むしろ、現状のその地域の社会資源や支援体制の中では「解決」が「困難」な「事例」が少なくない。そういう『困難事例』に対して、「しかたない」「不幸ですね」と個人のせいにしているだけでは、何も問題は解決されない。そういう「困難事例」に接している市町村の福祉担当職員が、何を「困難」に感じているか、どうしたら「困難」を克服できる「解決」案が出せるか、について、これまであまりも学ぶチャンスがなかった職員もない。そこで、上記のような研修にいたるのである。</p>

<p>で、実はこの研修は、最近の竹端の「困難」な挑戦に直結している。来月の台湾の学会で、この「困難事例」を市町村行政がどう克服できるのか、について話してみよう、と慣れない英語を必死に格闘していたのだ。英語で「困難事例」に近い表現として、"wicked problem"というものがある。辞書を引くと、「たちの悪い問題」。あ、なかなか解決出来にくい、そういう「たちの悪い問題」ってあるよね、と文献を探していると、出てくるは、出てくるは。なるほど、どこの国の現場でも、定型化されない、○×でマニュアル化出来ない問題といろいろ戦っておられるのですね。</p>

<p>というわけで、現場での研修と、研究をくっつけて考えてしまっているので、本当にうまくいくか、が非常にハラハラするけれど、でもおもろい。いや、おもろいんだけど、結構しんどい、と言えようか。どっちも方向性を見いだすための、模索のまっただ中にいる。ただ、ありがたいのは、現場には援軍が沢山にて、今日の研修も県内外の応援団で「チーム三重」を創って活動できる点だ。そういうfront lineの現実を、どう論文として多少は普遍的に伝えられるか。その中に、現場の「困難」の生の現実をどれほど織り込めるか。このあたりが課題だろう。</p>]]></description>
<link>http://www.surume.org/column/blog/archives/2008/10/post_318.html</link>
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<category>四方山話</category>
<pubDate>Fri, 24 Oct 2008 07:33:49 +0900</pubDate>
</item>
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<title>誰のための自立</title>
<description><![CDATA[<p>久しぶりに心から納得しつつ、深い感慨を持って読んだ文章があった。</p>

<p>「私は他人から私の自立について何か言われると、主体性を否定されるかのような思いを持ってしまうようだ。それが私への善意と愛と思いやりに満ちたものであっても、である。しかも、実際には自分で自立だなんて難しいこと、重いことは少しも考えて生活していないことを隠した上で『放っておいてよ』と言ってのけるわけだからすごくタチが悪い。自立のためにがんばってきた記憶がないのである。しかし、知的障害があると、いや障害があると、四〇代になっても五〇代になっても自立という目標に向かってがんばり続ける人たちが多いことにびっくりしてしまう。問題は誰ががんばることを決め、望んでいるのかである。」（三田優子「知的障害者の自立」『ケアされること−ケア　その思想と実践３』岩波書店p112）</p>

<p>実に簡潔にして明瞭である。大概の人は「自立のためにがんばってきた記憶がない」し、他人にとやかく言われると、「それが私への善意と愛と思いやりに満ちたものであっても」、「主体性を否定されるかのような思いを持ってしまう」から「『放っておいてよ』と言ってのける」。僕自身のつたない経験でも、親にとやかく言われるのがとにかく嫌で、よくこの『放っておいてよ』を叫んでいたような気がする。「善意」「愛」「思いやり」があっても、「主体性」が育つ中で、そんなことを言われたくない、という自分独自の視点が育ってくるのだ。多分それが「自立心」なるものだとこれを読みながら思った。</p>

<p>つまり、あくまでもその「自立心」は、個々人の中で芽生え、育まれるものだ。決して誰かに望まれたり、決められたりするものではない。いや、時として「○○からの自立」とは、その対象の○○との愛憎半ばする、しかし○○とは別の私として生きたい、という声明でもあるような気がする。当然その時に、○○の側の思いや願いと、全くずれるとも限らないが、かといって全く一致するとも限らない、そんなものだと思う。</p>

<p>しかし、三田さんが書いているように、「障害があると、四〇代になっても五〇代になっても自立という目標に向かってがんばり続ける人たちが多い」のだ。しかも、その直後に三田さんはグサッと核心をついてくる。「問題は誰ががんばることを決め、望んでいるのかである」と。がんばり続けること周りから強いている現状が、そもそも強いている側（＝マジョリティ）の「自立心」とはズレている。もっと端的にいえば、「自分すら出来ないことを障害者に強いている」のである。この欺瞞や問題性を、読みやすい文体とイメージしやすいエピソードを挟みながら、三田さんは私たちの現前に差し出しているのだ。</p>

<p>ちょうど金曜日の苦情解決責任者研修で、支援をするということの権力関係について話をしていたのだが、この文章はまさしくその論点をズバリとついてくる。社会福祉サービスを利用している側にとって、いくら契約制度であれ、「お世話になっている・をしている」という意識はなかなか利用者側も、提供者側もぬぐい去れない。その際、どうしても提供者側から被提供者側への権力関係が生じる。そのことに提供者側が自覚的でない限り、「自分すら出来ないことを障害者に強いている」実情は簡単に生じる。だからこそ、多くの障害当事者が、つらい、悲しい経験を繰り返ししているのだ。</p>

<p>三田さんの文章は、こんな下手くそな評論が吹いて飛ぶくらい、しみじみと感じ入り、読む者に余韻も残す。学生議会で障害者のことを質問する学生だけでなく、市町村の障害福祉担当者への研修などで、直接読んでもらいたい。そう思った文章だった。</p>

<p>ツアー最終日、甲府駅に着く直前の「ふじかわ号」車内で、実に良い文章に出会えた。</p>]]></description>
<link>http://www.surume.org/column/blog/archives/2008/10/post_317.html</link>
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<category>四方山話</category>
<pubDate>Mon, 13 Oct 2008 19:39:52 +0900</pubDate>
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<item>
<title>研修企画者の類型化？</title>
<description><![CDATA[<p>風邪がようやく治った、と思って、教員テニスクラブに久方ぶりに出かける。ねんざなどしないように、入念に足首のストレッチをする。ラケットは、そういえばグリップテープがもろもろになっていて、感触がよくない。こりゃあ、来週でも張り替えなきゃね、と思いながら、とりあえず練習の輪の中に入る。ボレー・ボレーのようだ。久しぶりにラケットを握って、ボールが来たときに打ち返す。力を込める。</p>

<p>ボキィ</p>

<p>鈍い音と共に、痛みが襲ってくる。音の感じは、関節をぼきぼき鳴らした時のような音。しかし、それに痛みが伴う。手をブラブラさせていると、痛みはない。、だが、グリップを握って球を打つと…やっぱり痛い。筋違えのようだ。せっかく久しぶりの運動なのに…。２０分で終了して、あえなく帰宅。骨は折れていなかったのだが、筋が痛んでいる模様で、不幸中の幸いは、こうしてPC入力や車の運転には不自由がないこと。ただ、運動が出来なくなったのが、また少し太ってしまった身体には悲しい。そう、ストレッチって、手もやらないとダメなんですねぇ。</p>

<p>で、昨晩は新大阪の駅前ホテルに投宿。今週末は岡山で学会なので、それにくっつけて、西日本方面！でのあれやこれやの打ち合わせなどを入れ込んでいく。そのついでに…、最近祖母が元気がない、と聞いたので、今日は少し足を伸ばして島根まで日帰りで出かけてくるつもり。で、ビックリしたのが、昨日打ち合わせで訪れた西宮駅で今朝の「のぞみ」を予約しようとしたら、満席！　そうか、世間は三連休、なのですね。流浪する民は、すっかり世間の約束事を忘れていたのです。ま、それでも何とか席を確保し、今日は島根→岡山へ、で、明日は学会が終わった後に三重に。「ついでに」と言うにはあまりなスケジュールだが、１０月から１２月にかけて、福祉業界は「研修」三昧で、こちらもあれやこれやお手伝いすることになってしまった。なので、珍しく「西日本」方面に行くときは、ついでに、ついでに…と重ねていった結果、こうなってしまう。あれまぁ。</p>

<p>さて、昨日の西宮の打ち合わせでは、今度山梨の障害者ケアマネジメント従事者研修にお越し頂く玉木さんや北野さん議論。この研修は各都道府県で必ず行うものなのだが、全国的にみて、その落差が色々あるようだ。山梨の場合、昨年と今年の研修のデザインに参画させて頂いているので、何とか「来て良かった」「自分が変わるきっかけとなった」研修に高める為の仕掛けと仕込みをしている。</p>

<p>研修に講師の立場で関わらせて頂くことが多くなって、よくわかりはじめたこと。それは、研修を依頼する側のスタンスやデザイン如何で、その研修の持ち味や中身は大きく変わりうる、ということ。研修の善し悪しは、講師の力量や話術にも勿論左右される部分がある。だが、それよりも、研修企画者側が、研修のミッションをどう定義し、聞きに来る人に「どう変わってもらいたいか」というビジョンを持っているか、それを講師に伝えて、講師からその部分に対する叡智を引き出せるか、にかかっているのだということだ。<br />
実は研修のデザイン如何によって、講師の力量を何倍に活かす可能性も、逆に何分の１かに減じる可能性もあるのだ。つまり、研修の「仕込み」と「仕掛け」が、その研修を正負の両方に引っ張る大きな要因となるのである。</p>

<p>そこで、この設計をする側が、上記の「仕込み」と「仕掛け」にどれだけ自覚的か、という点が肝になるのだが、実際はどうだろうか。私が講師依頼された場合は、よほどのことが無い限り、出来る限り事前に打ち合わせの時間をとって頂き、研修担当者と議論する場を作って頂く。そうして、少なからぬ担当者の方と会う中で、次のような類型化が出来るのではないか、と感じ始めている。</p>

<p>@【丸投げ型】：とりあえず職務だからやるけど内容はよくわからない（興味がない）ので講師に丸投げ<br />
A【暗中模索型】：その内容にある程度興味も持っているのだけれど、具体的にどうしたらいいのかよくわからない<br />
B【積極的対応型】：企画者側にある程度こうなってほしいという意図や問題意識があり、それを講師に伝えた上で、後は講師に任せ、ミッションを遂行してもらいたい<br />
C【共同設計型】：企画者としてプランニングを十分にし、各講師にも企画段階から練り上げる為に関わってもらい、一緒に研修を作り上げる役割を主体的に担ってもらう<br />
D【専制型】：全体について完全に企画者側が主導権を握り、講師には指示されたパーツのみの働きを求める</p>

<p>実際に研究室におこしになる方で、Dのタイプにはめったに出会わない。だいたいはA〜Cのどれかの方である。それでも年に１，２度は@でおこしになる方と出会うのだが、その落差に驚いて唖然としてしまう。そういう「丸投げ」研修は、正直こちらも気乗りがせず、無難にこなして逃げ帰ることがある。</p>

<p>そして、Aの暗中模索タイプの方なら、こちらが適切な問いを投げかけることによって、その方の中で何かかがはじけ、Bタイプに変化される方もいる。これって、実は「学習」に対する姿勢の類型化でもある。全くやる気がなくてこなすだけの勉強（@）から、自分に必要なところだけをつまみ食いする自習に近い状態（D）まで。で、自習して学べるのならいいけど、本では学びにくいエッセンスや新しい視点を取り入れるために研修がある、とするなら、「どうしていいのかわからない」という状態（A）から、「こうすればもっと良くなるとワクワク新たな試みを続ける状態」（C）に高める、というのは、普段ゼミ生の指導でやっている事と同じ、なのだ。そういう意味で言えば、研修企画者の為の研修、的なものが本当は必要なのだが、どうも見回しても、適切なそういう研修はないようである。</p>

<p>なので、お節介タケバタは、Aの人に出会うと、ついBやCになってほしい、とあれこれ聞いてしまう。その結果、ありがたいことに継続的に研修の依頼が来る、という面は、多少は効果があった、ということで喜ぶべき事なのだろうけど、１０月から１２月までみっちり入った研修を見て、とほほ、とも。まあ、これぞ身から出た錆、ではなくて、良い循環、なのですね。</p>

<p>というわけで、自分が企画者側に回った際は、何とかCが出来ないか、と苦慮している。その際、遠くても、可能であれば会ってミーティングすることも大切。だから、昨日は西宮で、明日は岡山で、明後日は三重で、それぞれ仕込みの打ち合わせをするのだ。どんなものでも手間暇かけないと良いモノはできない。そんな当たり前のことを今更ながら実感しているうちに、のぞみ１号は広島駅へと近づいていた。</p>]]></description>
<link>http://www.surume.org/column/blog/archives/2008/10/post_316.html</link>
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<category>四方山話</category>
<pubDate>Sat, 11 Oct 2008 06:42:09 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>批評精神</title>
<description><![CDATA[<p>ようやく風邪が治ったようだ。まだ鼻水は時折でるが、それ以外の症状はそれぞれ終了したようである。</p>

<p>それにしても長かった。１週間以上、ぐずぐずしたままだった。大学がスタートした為、最低限こなさなければならない仕事も少なくないが、それ以外はどれも「先送り」して、とにかく早めにベッドに潜り込む日々だった。ようやく今日くらいから、頭も多少冴えてきたようだ。だが、太ったからand/or病み上がり、のため、身体は怠くて、まだ本調子ではない。そうは言うものの、来週末の国内での学会発表用のパワーポイントと、来月頭の台湾での学会用の英語のドラフト、というヘビーな仕事の、どちらも〆切が迫っている。迫っている、といえば、来週金曜の講演のレジュメも出来ていない。まずい。</p>

<p>そんな中でも、仕事に集中しきれない一方で、他人の仕事にはちゃっかり読みふけっていた。</p>

<p>「批評は、誰にとってもこうだ、というような言い方ではない言い方、自分にいま感じられる言い方で、誰にとってもそうであるはずだ、というようなこと、普遍的なことを、いってみることだ。というか、普遍的なことをいおうとすると、変な言い方になってしまうことが、『批評を書く』ということなのである。」（加藤典洋『僕が批評家になったわけ』岩波書店、p3)</p>

<p>こういう風通しのよい文章に出会うと、濁っていた頭もクリアになってくる。普遍的なことを「自分にいま感じられる言い方」でいってみること。なるほど、批評についての、端的な説明だ。そして、僕などブログをこうして書いていても、なかなかその高みにたどり着けない（＝けれども密やかに憧れている）境地でもある。</p>

<p>その昔、北杜夫や遠藤周作の「エッセイ」が妙に好きだった。太宰治の小説よりも、津軽などの紀行文というか、エッセイ的テイストのあるものが、印象に残っていたりする。それらの中には、加藤氏がまさに指摘する批評的なもの、つまりは僕自身の世界にも通じる普遍的な感覚を、著者自身の「言い方」で言っている、その部分に心惹かれていったのだ。文章がドライブしていく、そのうねりの中に、心が没入していくのを、ワクワク楽しみながら読み進めていた。</p>

<p>で、はたと停滞している自分の仕事に戻ると、言葉が出てこない理由には、この部分があるような気がしている。自分が感じるオモロイと思うこと、それには一定の普遍的な何か、があると思っている。それを、学問的（＝つまりは一定の手続きや、そのサークル内での先行研究といった）準拠枠組みの中で書こうとしているから、何だかワクワクせず、放ったらかしのままになっている。だが、それはあくまでも形式の問題であり、本当にオモロイと感じることを、その感じたままで、「いってみること」こそ、まずは大切ではないか。自己表現に変に自己規制をかけて、もっともらしく、なんて振る舞おうとするから、書いている文章にノビやきらめきがない。端的にいって、書いている本人がおもしろがっていないから、発表も原稿も面白くないのだ。</p>

<p>もちろん、手続きや先行研究の叡智は大切にすべきだ。だが、それは、オモロイ核心部分を書ききった上での、いわばお化粧の部分で必要なこと。その前の土台の部分が腐っていたり、カスカスであれば、いくら上塗りしても、総崩れするだけ。そう考えると、今頭を悩ます二つの〆切も、とにかくオモロイエッセンスを、普遍的に感じられるある「高み」を自分なりの言葉で表現しきること、これに尽きる。その上で、必要なお化粧を手早くしていけば、薄化粧の中に栄える何か、が生まれてくるはずだ。</p>

<p>論文や学会発表は批評とは違う。だが、自分の頭でしっかと考え、他人の受け売りでない自分の論理を構築することのない、つまりは批評精神のない論文なり発表は、ただのクズに過ぎない。自分がワクワクするためにも、クズの生産ではなく、いかに批評的知にアクセス出来るか。病み上がりで多少スロースタートだが、そろそろギアチェンジすべき時期に来ている。</p>]]></description>
<link>http://www.surume.org/column/blog/archives/2008/10/post_315.html</link>
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<category>四方山話</category>
<pubDate>Sat, 04 Oct 2008 15:24:21 +0900</pubDate>
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<title>彷徨い人とリセット</title>
<description><![CDATA[<p>秋の花粉症にやられた。しかも、風邪気味でもあるらしい。</p>

<p>２４日から後期の授業が再開されたのだが、それにともなって、ヘビーな日々が再開される。「夏休み」とされている期間も、１０日ばかりを除くと決して「休み」ではなかったのだが、講義再開でいよいよ飛ばし始める必要が出てくる。１１月はじめには２年生ゼミのメンバーが「学生議会」で質問するので、それに向けてのプランニングや、ご助言頂く方々への依頼をしたり、後期の「ボランティア・NPO論」と「地域福祉論」のゲスト依頼もしたり。基本的に、講義は自分自身がワクワクしないとやる気にならないので、前年と全く同じネタのくり返し、はしない。もちろん、毎年外さない大事な項目もあるけれど、それもその年度の学生さんの関心事や授業の流れの中で、組み替える。</p>

<p>そんな依頼メールや電話をかけていた、金曜日午後から、急に鼻づまりに無気力感がおそってくる。クシャミもする。どう考えても花粉症だ。毎年秋の花粉症には多少やられる程度だったが、今年のきつさには、正直ノックダウン。何とか講義の目処だけつけて、家に帰って、花粉症の特効薬を家中探し回る。少しだけ残っていた錠剤を飲んで、多少ひどさが収まる。しかし、身体のだるさは消えない。どうも風邪の引きはじめも重なっているようだ。というわけで、鞄には週末の宿題を沢山入れて帰ってきたのに、結局土曜日は一日引きこもってベッドの友達。昏々と寝ても、まだ眠い、ということは、本当に弱っている証拠。日曜の午前まで、ダウンしておりました。</p>

<p>で、今回のダウンのお供には、ある書評につられて買ってみた『四方田犬彦の引っ越し人生』（交通新聞社）。正直この方の名前は知っていても、本も全く読んだ事はないし、同業者でもある、という知識すらなかった。僕は了見がわりと狭く、知らない著者の知らない作品を読むには抵抗感が結構ある方なのだが（だからいつまでも視野狭窄なのです…）、鼻づまりでボンヤリしている時に、仕事の本なんて読めるハズもない。なので、エッセイなら読めるだろう、と消去法的思考で読み始めたのだが、意外にハマる文体で、気がつけば読み終えていた。</p>

<p>「この地上には二種類の人間が存在している。できることなら自分が生まれ育った場所を離れようとせず、たとえ何らかの理由で家を離れなければならない事情があったとしても、つとめて近隣に住処を求め、その場所の土地の精霊に忠実に生きようとする類の者と、その逆に、機会がある度に次々と住む場所を変えていき、かつて自分が生きた場所に対しノスタルジアを感じることを固く禁じているものである。（略）　終の住処という観念を強く持っている人間と、それを持つことに躊躇し、できることならこの観念を回避して生きていたいと願っている人間の違いである。」（p199-200)</p>

<p>筆者は幼少期から現在まで１７回の引っ越しをしているそうであるが、僕はそれに比べると、引っ越しの数は少ない。３才で京都の下町の長屋から今も両親・弟が住む桂川沿いのマンションの１１階に引っ越した後から、僕自身の記憶が始まっているのだが、２５才になるまで、ずっとそのマンションの住人だった。父親が出張の多い職業だった事もあり、「ここじゃない何処かへ」という憧れはあったようだ。小学生当時、何もすることがない日曜日が本当に退屈で、自転車でブラブラ彷徨いながら、もっと何かしてみたい、知らない場所に行ってみたい、という欲求を抱えていた思い出がある。小さい頃の自己暗示とは強烈なもので、結果今のようにドタバタ動き回る職業になるとは、当時のヒロシ君に教えてあげたかったくらいだ。</p>

<p>で、大学院生の頃、父親が退職して、日中家にいないはずの父がいるようになり、３LDKのマンションが窮屈に感じる。それまで家を出るなんて現実的に考えた事もなかったのだが、いろんな契機も重なり、大学（阪大）の近所の茨木に引っ越す。高校まで京都の、南区から出たこともなく、一応K大学を目指していたのだが、もし入っていたら、四方田さん言うところの「その場所の土地の精霊に忠実に生きようとする類の者」になっていただろう。京都については、文句も多いが、愛着も多分に感じていたからだ。</p>

<p>だが、浪人して大阪のキタの川向こう、十三にある予備校に通うようになって、様相が少しずつ変わってくる。高校までずっとチャリ通学だった人間が、電車で移動する民になると、世界観も自ずと広がる。なんせ、十三まで定期を持っている、ということは、大阪駅まで後一駅というところまで毎日通うのだ。当然、予備校生の鬱憤を晴らすため、梅田のあちこちを歩き回り、予備校の恩師には十三や難波（そっちに予備校の本拠地があったので）で飲む楽しみを（もちろん英語もだが）教えてもらうと、京都的矮小な思考に気づかされれる。それと、センター試験での大コケも重なり、実は予備校時代から密かに憧れていた阪大の人間科学部に。そう、「変人科」と呼ばれていたその雰囲気に憧れていたのだ。自分はごく普通のありきたり、というのが嫌だった、と当時うそぶいていたのだから、今から思うと何という自己認識のズレ…なのだが。</p>

<p>で、いったん京都という枠組みから解放されると、結局彷徨い人的思考に火がついてしまったのだろう。茨木に住んで数年後、結婚して西宮に引っ越し、その後スウェーデンにも半年住んで、また西宮に戻って１年ほどして、今度は現住所の甲府に引っ越す。今では新宿の雑踏に触れるたびに、「早く甲府に戻りたい」と思うほど甲府でしっかり根を下ろしながらも、毎月（前期は毎週のように）あちこちに出張でうろうろする。元々じっとしていられない性質だったのだが、高校くらいまではどうすればそれが解決出来るのかわからず、あるいは京都的閉塞感に良くも悪くも閉じこめられ、エネルギーの開放に至らなかった。しかし、大阪を媒介として「異国」を知ってしまった後（そう、京都しかしらないコドモにとって、大阪は本当に異国だったのだ）、パンドラの蓋が開いてしまったかのように、元来の性質である「じっとしてられない」に火がついてしまったのだ。</p>

<p>こうして風邪を引いていると、「やはりおうちがいいよね」なんてシュンとするのだが、元気が戻ればまた何処かに行きたい病がムズムズ出てくる悪い始末。この週末の宿題（だけれども未完に終わりそうなもの）も、もとはといえば、「夏休みにきちんとやるべきこと」だったのに、「何処かに行きたい病」にとりつかれて夏休みに出張続きのうちに、果たされなかったタスクなんだから、本当に何だか本末転倒、である。</p>

<p>こうやってダウンして、強制的にリセットされて、普段の不品行を少しは反省しても、また元気になれば元の木阿弥になる、というのでは、何も反省していないのに等しいのだけれど…。そんなことを想いながら、他人の引っ越し話をベッドでつらつら読んでいたのであった。</p>]]></description>
<link>http://www.surume.org/column/blog/archives/2008/09/post_314.html</link>
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<category>四方山話</category>
<pubDate>Sun, 28 Sep 2008 11:42:34 +0900</pubDate>
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<title>放ったらかしだった課題</title>
<description><![CDATA[<p>気がつけばいつもそうだ。</p>

<p>当該駅に気づく。そう、この駅で降りるのだった。しかし、気づいたときには、時、既に遅し。無情にも電車の扉は閉まるところ。ああ…。今日は大和八木で通り過ぎ、降りたのが大和高田。かくして、久しぶりに電車を乗り過ごした。</p>

<p>三重で仕事の打ち合わせをし、松坂で美味しいホルモン焼きを頂いた。松阪牛の聖地では、「放るもん」も、味わい深い。デブを覚悟で、ぱくぱく、グビグビ。そして、上本町行きの特急に乗り込み、気がつけばiPodなんぞ聴いている。これが危ない。遮音してクラシックを聴いていると、それは中途半端な睡眠薬より、よほど良眠に誘うのだ。しかも、満腹で、さらには酔っぱらっている。これで眠くならない方がおかしい。不幸中の幸いは、終電ではなかった、ということ。特急の終電は逃したが、大和八木で何とか京都行きの急行を捕まえる。これならば、実家に日付変更線を超える前にたどり着けそうだ。やれやれ。</p>

<p>つかの間の夏休みは終わり、すっかり仕事モードに復帰している。昨日は我が家の大掃除。玄米に大量発生してしまった米虫と戦うために、必死になってベランダに天日干しをする。ついでに換気扇やレンジ周りの汚れを取り、フードを取り替える。こういう日常業務をきちんきちんとこなさいと、生活のリズムを立て直せない。逆に言えば、真実は細部に宿る、ではないが、こういう一つ一つの営為をする中で、休暇モードから仕事モードへのスイッチングが可能になるのだ。ま、今日の寝過ごしは、「休みボケ」ですね。</p>

<p>今乗っている近鉄急行は、十数年前に本当によく乗った。予備校時代に通った英語塾への行き帰り。大学時代のボランティア現場、そして大学院生のフィールド先やバイト先。なぜかどれも近鉄沿線や周辺だったので、それこそ日常的に乗っていたのだ。そして、酔いどれの意識は、必然的に１０代終わりから２０代にかけての時期を彷徨いはじめる。</p>

<p>当時も今も、キャパシティが狭い、能力不足、なのに背伸びをしてることには何ら変わりない。だが、気が付けばその質感というか、背伸びする中身、が変わりはじめているようｙな気がする。その昔、近鉄線に乗っていた頃は、とにかくがむしゃら、というか、目の前にある課題に脇目もふらずに必死に食らいつくしかなかった。今だってがむしゃらモードではあるのだが、多少の悪知恵と経験則に縛られて、突破者的な破天荒での飛び出し、はしなくなっていた。ある程度の枠組みの「際」をみながらの、世間との折り合いのギリギリの範囲内を飛んでいるような気がする。</p>

<p>これが良いことなのかどうなのか、はわからない。ただ、何度も書いて恐縮だが、「○○は悪い（と指摘する私は正しい」というスタンスが鼻についてしまい、以来、糾弾モードでは考えられなくなった。すると、破天荒な物言いではなく、一定のバランス感覚を良きにつけ悪しきにつけ、付けはじめている。</p>

<p>この感覚がいいのかどうかは、正直不透明である。以前なら同じ土俵で議論できなかった人とも対話のチャンスをつかめた、という意味では、良いのかもしれないが、日和見主義と後ろ指さされる可能性も常に内包している。さじ加減、というか、三途の川のあの世とこの世の境が実に見えにくく、揺れ動く故に、その川を越えずにとこまで踏みとどめるかも不透明だ。追従する（＝お世辞を言う）人が増え、本当のこと（＝箴言）を伝えてくれる存在を失うことは、ミイラ取りがミイラになるのと同罪だ。これは、問題が大きい。</p>

<p>宇治川の橋梁を渡りながら、以前の僕は、自身の狭量に唾棄するばかりだった。今、多少は唾棄せずとも、ものの推移を落ち着いて眺められそうだ。２０代で真剣に得ようと苦闘したものは何だったのか。そして、３０代になって、何とか獲得できそうなのは何か。何を捨てても良くて、どれは必死に護らなければならないのか。</p>

<p>懐かしの急行電車に揺られながら、随分昔から放ったらかしておいた宿題と向き合っている。</p>]]></description>
<link>http://www.surume.org/column/blog/archives/2008/09/post_313.html</link>
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<category>四方山話</category>
<pubDate>Mon, 15 Sep 2008 22:34:58 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>遅い夏休み</title>
<description><![CDATA[<p>ようやくブログ画面を起動させることが出来た。</p>

<p>この２週間、前半は、といってすっかり記憶がなかったので、あわててgoogleカレンダーを見てみる。そうそう、９月第一週も三重に行き、その後東京でのお勉強会もあり、第一週の週末は７日〆切の国際学会のアブストラクト（たった３００wordsなんだけど）でてんやわんや、その後、１週間、ようやくの「夏休み」をとったのでありました。</p>

<p>夏休みは、パートナーがアウトレット三昧を所望し、僕は温泉でゆっくり、だったので、その希望を満たすために、那須→会津→新潟と小トリップ。初日に入間→佐野、二日目に那須のアウトレットをみる、という３カ所制覇をすると、だいたい同じ店が入っていることもあり、いい加減飽きてくる。ただ、以前から僕は妻についていったアウトレットでのみ服を買うパターンになっているので、今回もご多分に漏れず。以前八ヶ岳アウトレットで買ったローライズジーンズで腰を痛くしそうになったので、普通のジーンズを二本。それからスニーカーがカリフォルニアで「ジム用に」と急場しのぎで買った白のものしかなかったので、以前から気になっていたアシックスの「ハダシウォーカー」を購入。入間までスリッパで来てしまったものの、アウトレットを歩いているうちに足が痛くなっていたのだが、この靴は、ものすごく軽くて良い。以後の旅ではスリッパはしまわれ、早速活用される。それと、中敷きが取れてぐちゃぐちゃになってしまった仕事靴の代わりとして、クラークスの履きやすい靴もゲット。生活必需品のみを購入し、程なく終了。</p>

<p>その後、那須高原のペンションに泊まり、那須という場所が清里以上にツーリスティックな避暑地であると初めて知る。９月の平日なのに、子供連れも多い。遅い休暇はどこも一緒のようだ。で、このペンションで朝風呂に入りながら今回、持参した三冊のうちの、「悲鳴をあげる身体」（鷲田清一著、PHP新書）を読了。鷲田先生の身体論は何冊か読んでいて面白いと思っていたが、この本を読んでいて、彼のファッションへの視点が非常に興味深かった。アウトレットを何軒も回ると、「流行」に左右されて廃盤品となった残骸に触れる訳で、そこを何軒も回ると、服というものは何なのだろう、とゲンナリしてくるのだが、「服に着られる」のではなく、服を着る「身体」に着目し続けている彼の論調は実に面白い。今まで避けて読まなかった氏のファッション論も帰ったら早速読みたくなってきた。</p>

<p>翌日は那須のアウトレット経由で南会津の湯ノ上温泉へ。一日４組しか泊めない、というこじんまりとした民宿で、のんびり何度も風呂に浸かる。そして、浸かりながら読み始めたのが「日と月と刀」（丸山 健二著、文藝春秋）。上下巻の分厚い歴史小説。著者も浅学な私は知らなかった。たまたま<a href="http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20080727/p1">とあるブログで絶賛</a>されていたので、手にとってみたのだった。この本を読みながら、翌日は会津若松のビジネスホテルにとまり、その翌日は新潟の熱波温泉へと場所を移し、読み続ける。そして、昨日読了。</p>

<p>一言で言うとシュトルムウントドランク（疾風怒濤）というべき、大スペクタクル。室町時代の激動・かつ波乱な人生を駆け抜けた男の一生を書ききった大作である。先のブログで「生涯に何度も何度も読み返すことになるに違いない小説」と紹介されていたが、なるほど、フロンティアたらんと荒野を一から開拓してきた人にとっては、自身と重なる部分も多いのかも知れない。これを読んでいて、一代記、というジャンルを思い出していた。たとえて言うなら、パール・バックの「大地」とか、司馬遼太郎の「空海の風景」とか。視点も着想も文体も含めて、激流に呑み込まれていく楽しさを堪能していた。</p>

<p>その間にも、ちゃんと観光、というか、相変わらず買い物も堪能してしまいました。会津では焼き物と塗り箸、それから醤油に味噌に酒と買い込み、最終日に立ち寄った寺泊漁港では、帰宅後に天ぷらにしたキスと、生で食べた甘エビとタコ（この二つは残ったので土曜の昼に海鮮パスタにする）、そしてアンコウも買い込む。安くて、うまい。そんな訳で、帰ったらすっかり１キロ太って帰ってきたのだった。いかん、いかん。</p>

<p>ただ、おかげさまで、ようやく前期の間の身体と心の疲れは取れたようだ。明日からはまた三重→西宮と出張で、週の後半は授業の仕込み、で、再来週からは後期の再開！　あれま、疲れが取れた、と思ったら、もう再び後期の授業なのですね。ようやく研究も本調子にならなければ…というところだったのに。</p>]]></description>
<link>http://www.surume.org/column/blog/archives/2008/09/post_312.html</link>
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<category>四方山話</category>
<pubDate>Sun, 14 Sep 2008 17:32:22 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>作業前の心得</title>
<description><![CDATA[<p>困った時は原点に返るとよい。</p>

<p>大雨の一日だった昨日、週末に〆切の原稿を前に、何をどう手をつけて良いのやら、途方に暮れていた。北海道の出張の後、金曜土曜の二日間はオープンキャンパス、日曜は障害者団体の勉強会、そして月曜火曜とゼミ合宿で、身体に疲労が蓄積されていたのかもしれない。ゆえに、水曜は打ち合わせ→講演→打ち合わせと外回りをした後、木曜日はグッタリだった。土曜までにやり終える予定の原稿なのだが、全く力が沸かない。ついでに、と図書館で資料を集めてみるものの、頭の中に入ってこない。集中力も持たない。悪循環のスパイラル。外では土砂降りの雨…。</p>

<p>何もしていないのに、出来なかったからこそ、疲労困憊で家に帰り、のんびり風呂の中である本を読み返していた。読んでいて、自分の詰まっているポイントを見事に言い当てる一節に出会った。</p>

<p>「『本を読まざるべし』などということをいうのは、昔こういう経験があるんです。これはアメリカで理論の世界での論文を書いているときのことなんだけれど、ある程度いろいろな理論の論文を読んでから、その理論を概念的に、あるいはオペレーショナルに拡張したり、新たに解釈するというのを書いていたんです。そのとき自分の先生にこういわれた。『伊丹さん、参考文献とか、似たようなリサーチをやっているとか、そういう論文は論文を書き終わってから読むようにしてね』と言われたんです。論文の本体を書き終わってから、自分と同じことを言っている者はいないかといって、確認のために他人の論文を読みなさいと。<br />
　驚きましたね。しかしその意味は、最初から全部読んじゃうと新しい発想とか、新しい仮説を作るとか、そんなふうにならないから、ということなんです。何か思いついたら、とにかく理論でゴリゴリ考えろ、１０日か一週間あれば、何か結論がが出てくるでしょう。それまでまずやっちゃうんですと。他人の論文なんか読んでは駄目ですと言われた。」（伊丹敬之『創造的論文の書き方』有斐閣、p110-111)</p>

<p>ようやく夏休み後半の今頃になって、ルーティーンワークも終え、研究に集中出来る僅かな期間が戻ってきた。だからこそ、既存の内容の焼き直し、ではなく、新しい視点で今やっている内容をまとめるようなものを書きたい。そう力むのだが、どうしていいか当惑していた。だから、あっちの本で気づきを得て、こっちの本にフラフラ。そこで新たなキーワードに気づき、あわてて図書館に駆け込みいくつかの文献に当たって…。なんてしているうちに、例の悪循環にはまって、気がつけばすっかり消耗していたのだ。</p>

<p>一番の問題、それは、他人の論（＝考え）に依存・幻惑してしまい、自分の頭で考えなかったことである。自信のない時ほど、他人の智恵にすがりたくなる。だが、自分の中から何かを生み出そうという真っ当な苦労をすることなく、他人の御説を適当に編集しているだけでは、ぱっとしないことこの上なし。「何か思いついたら、とにかくゴリゴリ考え」るのである。その上で、ある程度の結論が自分なりに出るまでやってみて、「確認のために他人の論文を読」む。こういう当たり前の、基本の「き」、をすっかりきれいさっぱりに忘れていたのである。阿呆ですね。</p>

<p>で、この本の最後には、停滞状態を突き抜ける為の「５つの心がけ」も書かれていた。</p>

<p>「本質は何かを考える」「狭く入って、深く掘る」「鳥の目と虫の目を、使い分ける」「スピーディーに思考実験する」「言葉を大切に使う」</p>

<p>何故自分がこのテーマを「オモシロイ」と思ったのか、の本質を捉えようとしているか。そのために、あれこれ関連テーマも気になるけれど、欲張らずに対象を限定し、その対象に対してトコトンどっぷり浸かって考えられているか。そういうマイクロな虫の目と共に、ある程度書けた段階で、俯瞰的に「この考察は何の一部なのだろう」という鳥の目でものを見れるか。以上の事をするために、論理的な筋道を追いかける営みをスピーティーに行い、駄目なら次の論理展開を考える、というしつこさがあるか。そして、一番重要なのは、文章として書く時に、いい加減な言葉を使わず、適切な言葉を、適切な場面で使えるか。</p>

<p>こういう風に整理をしていると、職人さんが、自分の仕事の前に道具を研いだり磨いたりしているように、書き手も頭の中を研いだり磨いたり、を、特に書き始める前にはきちんと行っていくのが大切だ、とわかりはじめた。</p>]]></description>
<link>http://www.surume.org/column/blog/archives/2008/08/post_311.html</link>
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<category>四方山話</category>
<pubDate>Fri, 29 Aug 2008 07:35:28 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>怒りからの気づき</title>
<description><![CDATA[<p>猛烈に今、腹が立っている。<br />
何に腹が立っているのか。それは、今、羽田空港からの帰りのバスの中にいるのだが、１時間、バスはほとんど動かない。石和の花火大会終了直後に巻き込まれ、全く身動き出来ないのだ。ただ、勘違いしないでほしい。この渋滞そのものは、確かにうんざりするが、それに腹を立てているのではない。腹が立つのは、この花火大会がある、という事実を、僕はバスに乗って運転手に言われるまで知らなかった、ということだ。空港で乗る前に教えてくれていたら、絶対に「あずさ」を選択した。後出しじゃんけんの様に、バスに乗った後になって「ご承知のように今日は花火大会があるので、石和以後、甲府竜王方面は相当に到着が遅れると思います」と言われ、しかもそれ以外の選択肢が奪われていること、このことにものすごく腹を立てているのだ。そして、ふと気づいた。この怒りは、あの怒りと同じだ、と。</p>

<p>火曜日朝一の飛行機で帯広に行き、水曜日は往復６時間かけて浦河まで遠征し、駆け足で２泊３日の調査に出かけた。久しぶりに師匠の取材に同行させて頂き、帯広と浦河、という、日本の地域精神保健を変えた二大先進地に出かけ、先駆者達のお話に耳を傾けたのだ。この二つの先進地の最大のポイント、それは「当事者の声に基づいた支援づくり」である。精神病という病のつらさ、だけでなく、この病を持つことによって様々な生活のしづらさ、人間関係のしんどさを抱えて生きている人に、どれだけ寄り添い、そこから支援を展開できるのか。この二つの地域はそのことに、真正面から向き合ってきた。そこで向き合った内容の一つに、前段で書いた僕の怒りと共通する怒りがあるのではないか、と思う。では、どういう点で、精神病者の方が感じたであろう怒りと僕の今の怒りが共通しているのか。それは、「理不尽なこと」というカテゴリーだと思われる。</p>

<p>突如襲った絶望的な現実。しかも、対処する術が、その時点でない。ただそのことを「諦め」るしかない。回避したり、被害を最小化する術もあったかもしれないが、この状態になった後にそう言われても、どうしようもない。怒りの持って行きようもない。とにかく、閉ざされた空間で、ただただ諦めて待つしかない。</p>

<p>ただ、僕の場合、この待つということも、所詮１，２時間程度の、終わりがある「待つ」である。この１時間で、１キロも進んでいないこと、そして抜ける術がないこと自体は本当に腹立たしいが、後１時間もすれば抜けれる（はず）である。終わりが見えている。しかし、精神病の場合、一過性のものではない。いつまで持続するかわからない不安。ずっと奈落の底に落ちていくのではないかという焦燥。以前の自分に戻ることが出来ないのではないかという絶望。それらが合わさった怒り。そんな理不尽の渦の中に放り込まれたのなら、どれほど激しく怒り、どれほど深く絶望するだろう、と考えてみる。それで僕自身の怒りが収まる訳ではない。だが、こんなもんじゃない怒り、とはどれほどのものか、と思うとき、その怒りに寄り添うことの意味合いをすごく感じてしまうのだ。</p>

<p>僕が今、ここで相当に怒っていることの理由として、お腹がすいていること（なんせもう夜１０時だ）、疲れていること（二泊三日の強行軍の疲れが一気に出ている）、抜け出せないこと（バスから降りれない）、１人でいることなどが挙げられる。精神疾患でも、病気から抜け出せないことだけでなく、不眠や幻聴などで疲れがたまっていること、人間関係にひびが入って１人でいる孤独、働けなくなってしまった場合にはそれに加えて食事も含めた生活の維持に関する不安も重なるだろう。これらの不安が怒りに、そしてやがては絶望へと結びつくのだ。</p>

<p>では、この状態を変えるために、どうすればいいのか。まず、「抜け出すこと」は容易ではない。そもそも、抜け出せないことから、この怒りや絶望は始まっているのだ。では、現実的な対処として、お腹を満たしてほしい、それが無理なら（確かに鞄の中には弁当はない）、まずは「大変だねぇ」と共感してほしい。そう思っていたら、妻から電話があり、愚痴をぶちまけ、多少はすっきりした。そう、浦河も帯広も、精神障害者のしんどい現実に、まずは寄り添い、共感するところからスタートしていた、と今回の取材の中でわかったのである。（疲れているから、少し強引なつなぎに見えるかもしれないが）</p>

<p>セルフヘルプグループ研究の大家の上智大学の岡知史先生は、その著書の中で、セルフヘルプグループの三段階を説明している。同じ悩みや苦しみを持つ当事者同士が集まって、まず自分たちのしんどさを「わかちあい」できることが、出発点だ。その中で、苦しみを対象化し、そこから「ひとりだち」するきっかけが出来てくる。その過程の中で、苦しさや怒り、絶望や諦めといったものから「ときはなち」がうまれる。また、自身を押さえつけていた環境を変えようと、「ときはなち」は社会変革へも向かう。浦河や帯広でみたことも、このセルフヘルプグループの動きそのものであった、とも言える。絶望や怒りの渦の中にいる当事者であっても、同じ渦の中にいるもの同士なら、その苦しさや怒りを含めて共感（＝わかちあい）が出来る、というのが、このセルフヘルプグループの最大の魅力であり、入口なのだ。</p>

<p>今、石和の交差点の大渋滞をようやく抜けだし、次は横根の信号までの混雑でまだのろのろ運転だが、多少動き始めたバスの中で、タケバタにはこの怒りを同時期に共感し合う仲間はいない。だが、読み手のあなたと「わかちあう」ことを目指したこの文章を書く中で、少しだけ、この怒りから「ときはなち」が出来、本来の自分の有り様に「ひとりだち」する契機をもらった。なるほど、どんな経験でも、考えようによっちゃあ養分になるのですね。でも、早くおうちに帰って、本物の養分（夕食）にありつきたい。バスは２時間弱の遅れが見込まれながら、少しずつ甲府駅を目指している。</p>]]></description>
<link>http://www.surume.org/column/blog/archives/2008/08/post_310.html</link>
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<pubDate>Thu, 21 Aug 2008 21:46:34 +0900</pubDate>
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<title>時代を超えて変わらぬもの</title>
<description><![CDATA[<p>お盆休みだから、という格別な理由もないのだが、この週末に偶然読んだ３冊は、色んな意味で「戦争つながり」であった。</p>

<p>「『瀬島さんはこれからどういう仕事をなさるんですか』と河野が聞いた。<br />
『国家のために奉公します』<br />
『国家のためとはどういう意味ですか』<br />
『……』<br />
瀬島は黙ったままだった。」（共同通信社社会部編「沈黙のファイル−『瀬島隆三』とは何だったのか」新潮文庫、p298)</p>

<p>元大本営参謀→シベリア抑留→某大手商社会長→政界の「影のキーマン」、と変遷を遂げた瀬島氏の軌跡を辿りながら、第二次世界大戦の前後で、何が変わり、何が変わらずに残ったか、を浮かび上がらせていくノンフィクションの秀作。先の引用は、元関東軍の一兵卒であり、シベリア抑留中に瀬島氏を見たという河野氏が、戦後大気汚染訴訟の原告団として、臨調委員の瀬島氏に「再会」した折りのやりとり。河野氏の陳情に対して素っ気ない瀬島氏に河野氏が迫ったところの一シーンである。</p>

<p>ここに象徴されるように、瀬島氏には「枠組みのために身を捧ぐ」という「枠組み」があった。この枠組みの名称が、天皇、国家、会社…と変わろうとも、枠組みを固守する、という型は、一貫して変わらなかった。そして、この枠組みを守るための戦略というか身のこなしというのが、抜きんでて良いと評価されたため、第二次大戦→抑留のあとも、再び表舞台に立つ。この視点で見ると、個人や社会というより、ずっと枠組みに囚われていた人間の哀しさ、というものが、読後感におそわれる。彼が日本の第二次世界大戦参戦について、「侵略戦争ではない」と言い切ったのも、自身の枠組みの固執のためには、譲れない一線であった、とすれば納得出来る。そして、この枠組みの固執や堅持、は一軍人に限ったことではなかった。</p>

<p>「日本にとってアメリカは、欲望や憎悪の対象ではあったとしても、分析や観察の対象として戦略的には位置づけられてはいなかった。日本はむしろ、『アメリカ』を欲望し続けながらも、『鬼畜米英』の幻想的な標語によって敵国アメリカの実態を視界の外に追いやり、他者として直視することすら避けて内閉していた。」（吉見俊哉「親米と反米」岩波新書、ｐ５７）</p>

<p>文化社会学者の手による明治維新から戦後にかけての、日本社会のアメリカ受容と「政治的無意識」に関する考察は、先の瀬島氏を巡る論考の読後に見ていくと、興味深い。思わず「嫌いは好きのちょっと前」という言葉が浮かんでしまう。反米というのは、親米と対極ではなく、むしろ地続きで繋がっている。この切断されない無意識は、枠組みの固持により、敗戦後に急速な経済復興を遂げた日本社会にとっての、大きな固定資産だった。そして、ＧＨＱも、この固定資産を破壊せずに、冷戦時代の到来もあって、うまく活用した。その枠組みの固持の結果として、今の日本の繁栄がある。そう考えていくと、個人瀬島氏の戦争責任云々、だけでなく、彼は実に日本的価値観を体現した人、とも捉えることが出来る。つまり、これを書いている僕自身の中にある無意識をも、両書は浮かび上がらせているかもしれないからだ。</p>

<p>で、もう一冊読んだのは、うって変わって実に秀逸なるエッセイ。ただ、ここにも戦争の陰影が見事に記載されている。</p>

<p>「それにしても、人一倍食いしん坊で、まあ人並みにおいしいものを頂いているつもりだが、さて心に残る“ごはん”をと指を折ってみると、第一に、東京大空襲の翌日の最後の昼餐。第二が、気兼ねしいしいたべた鰻丼なのだから、我ながら何たる貧乏性かとおかしくなる。<br />
おいしいなあ、幸せだなあと思って食べたごはんも何回かあったような気がするが、その時には心にしみても、ふわっと溶けてしまって不思議にあとに残らない。<br />
釣針の『カエリ』のように、美しいだけではなく、甘い中に苦みがあり、しょっぱい涙の味がして、もうひとつ生き死にかかわりのあったこのふたつの『ごはん』が、どうしても思い出にひっかかってくるのである。」（向田邦子「父の詫び状」文春文庫、ｐ９２）</p>

<p>このエッセイは、もう１０年以上前に古本屋で買いながら、全くその後ご縁がなく、本棚に「積ん読」状態のまま、京都→茨木→神戸→甲府、と居住地を変えてきた本だ。何の気なしに一昨日手にとってみて、グッと引き込まれていく。情景がこれ程までに目の前に浮かび上がるエッセイも珍しい。昭和の戦中・戦後の、僕が全く経験していないはずの食卓が、本当に具体的なディディールとして浮かび上がってくる。そんな珠玉のエッセイの中でも、１０代に終戦を迎えた著者ゆえに、戦争の経験がそこかしこに出ている。だが、決して告発調でも、厭世的でもない。その時代を生き続けた著者が変わらず持ち続けた庶民としての視点から、食にまつわる記憶が紡がれる。ただ時折、「釣針の『カエリ』のように」、読み手をも引っかけてくるフレーズに、心を捕まれるのである。</p>

<p>同時代的な内容の読書だけでなく、時代も文脈も超えた内容にアクセスすることの大切さ（そして面白さ）をかみしめていていた週末だった。</p>]]></description>
<link>http://www.surume.org/column/blog/archives/2008/08/post_309.html</link>
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<category>四方山話</category>
<pubDate>Mon, 18 Aug 2008 08:23:10 +0900</pubDate>
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<title>書棚と頭の整理</title>
<description><![CDATA[<p>週末の行脚のあと、月曜日には真面目に大学に。</p>

<p>前日夜、新大阪駅構内で買い求めた５５１の餃子を肴にビール→白ワイン→グラッパと深酒をしていたので、少し二日酔い気味だが、約束があるので、よろよろ出かける。その約束とは、そう、学生さんにお手伝いを頼んで、半年以上ぶりに、研究室の大掃除をすることになったのだ。</p>

<p>そんなの一人で出来るでしょ、という声に対しては、ただただ、すんません、と答えるしかない。ただ、僕は昔から、部屋の整理が大の苦手。リスか何かのようにモノは溜め込むのだが、そのうち溜め込んだことをすっかり忘れ、溜め込まれたモノは部屋のあちこちに沈殿している。ゆえに、大掃除というと、そういう沈殿していたモノが日の目を見ることになる。「あ、こんな資料があった」「こんなのもとっておいたんだよねぇ」と、作業をやめる「言い訳」が一杯準備されているのだ。そして、色々読み始めたら、手も足も動かず、結局何も片づかないで過ぎてしまう、という悪循環に陥る。ゆえに、「次どうするんですか？」「これは捨てるんですか？」と急かされながら、渋々モードで進めないと、部屋は片づかない。ま、お陰でかなり片づいたのですが。</p>

<p>この前期は、他大学で初めての講義を持ったり、あるいはある研究グループは報告書作成の時期だったり、他の研究会で新たなジャンルに挑戦したり、と様々な事が重なったので、部屋の中も書架も、ぐっちゃぐちゃだった。多少はお勉強した痕跡、というか、戦った日々の残骸が部屋のあちこちにバラバラに散らばっている。まだ採点業務は残っているが、一方で夏休み中にしたい研究を、と考えるにあたっては、まずはこの前期の残骸を処分して、心機一転するしかない。もともとそう考えていた訳ではないが、部屋を片づけているうちに、やはり書架の整理をやるしかない、とわかって、心機一転モードに切り替わっていく。</p>

<p>本棚や書架の整理、というと、大きく分けて二つのやり方があると思う。例えば上野千鶴子氏や、うちの大学のＭ先生など広範囲をカバーする大蔵書家は、ジャンルも区切らずアルファベット順で整理しないと、収集がつかないそうな。しかし、まだ蔵書数がたいしたことない僕は、分野ごとに固めておいている。両者を比較すると、アルファベット順ならば、その著者の名前を思い出さないと見つけ出すことは出来ないが、ルールは機能的で整然としている。その一方、ジャンル別なら、大体このジャンルの本は、と見当がつきやすい一方、当時のジャンル設定と今の自分の気持ちが別なら、あるいは単に元の場所に戻さなかったら、当該図書は発掘出来ない危険性がある。最近、どうも本を探し当てられないことがある僕も、アルファベット順に対する興味があるが、しかし全ての著者の名前を覚える自信がなくて、分野ごとに固めておく、ということをしている。すると、蔵書数が増えたり、仕事の区切りの際には、本棚を入れ替える必要があるのだ。</p>

<p>で、前期の仕事がとにかくおわり、まずは机に一番近い棚に占めていた、福祉政策やノーマライゼーションに関する文献のグループを元の位置に戻していく。どちらも、講義の為に必要な文献グループだったのだが、特にノーマライゼーションのグループについては、講義を進める中で、学生とのやり取りに対応する為にも、施設福祉の文献も沢山途中で追加していった。ゆえに、講義が終わった後、新しいコーナーを作って、ノーマライゼーションと施設福祉・地域移行といった一区画をつくる。そして、前期の途中で学会発表したテーマについて、この夏もう少し調べて、別の学会発表につなげたい、と思いながら本を並べ直していると、別の区域においておいた数冊が、そのジャンルに関係している、と整理の中で気づいたりする。</p>

<p>つまり、ある区切りの段階で、改めて本の背表紙という現物を眺めながら、新しい文脈・関連づけを作り直す作業をしているのだ。一冊一冊は固有の主張をしていても、その本と本との間の関係性、自分が捉える意味づけを、自分なりに捉え直し、新たに定義づけ直して、書棚に新たに納めることによって、価値づけていく。書棚の整理は、主に動かすのは身体だけれど、やりようによっては頭もフル回転させ、そして次の仕事への原動力になっていく。これは大変だけれど、意義深い。</p>

<p>あと、本棚だけでなく、部屋を整理していると、一区切りがつき、新しい気持ちになれる。その感覚は、だいぶ前に読んだ「ガラクタ捨てれば自分が見える―風水整理術入門」（カレン・キングストン 著、小学館文庫）に触発されているのかも知れない。風水整理術、というと、何だか胡散臭いと思う人もいるかもしれないが、著者の主張はとてもシンプル。ゴミだめのような部屋には悪い運気が流れる、きれいにすると、よい気が流れる、というもの。気の科学的存在の是非はさておき、実際部屋が汚いと、仕事をする気にならない。その本を読んで以来、焦っているとき、落ち着かない時、いらいらする時、やる気が出ない時は、とにかく部屋を片づけてみる。すると、気の流れ、もあるのかもしれないが、単純作業に集中する事によって、雑念のとらわれを追い出すことが出来、結果的に切り替えや場面転換が出来るようになったのだ。我が家ではこの本に感化されて、家人共々、以前よりはモノを捨て、甲府に引っ越してきた時よりは少しは整理がついてきたと思う。</p>

<p>とここまで書いてみて、ハッとこの自宅の仕事部屋を眺めてみると、雑然としていて汚い。せっかく昨日、大学で新たな関連づけを果たし、発掘した本も持ち帰ったのに、これでは仕事にならない。さて、昨日に引き続き、今日は自室の整理から始めますか。</p>]]></description>
<link>http://www.surume.org/column/blog/archives/2008/08/post_308.html</link>
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<category>四方山話</category>
<pubDate>Tue, 12 Aug 2008 08:50:46 +0900</pubDate>
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