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2005年08月31日

学生支援と地域移行支援

パソコンを前に、茫然自失としてしまう。

だって、今朝は結構気分が乗って、学生支援と障害者支援の重層性についてブログを書いていたのに、アップロードする直前の確認画面で、何の気なしに簡単な手順を間違えたため、ごっそり文章が消えてしまったからだ。あの1時間は何だったのか、と思うと、ぐったりする。時間的な損失よりも、その時のノリや息吹が込められた文章はもう二度と戻ってこない、という意味で、ガッカリしてしまうのだ。

まあ、そうはいっても仕方ないので、ごく短く再構成してみよう。

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僕が学生だった頃(10年くらい前)までは、真面目に授業に全部出席している大学生、というのは、そう多くはなかった。ほどほどに付き合いながら、クラブやサークルや色々な学外活動に打ち込む、というのが定番だった。だが、教員になってみて驚くのが、授業は1限でも真面目に出席する学生がすごく多い、ということだ。そしてもっと驚きは、「出席するものの、友達としゃべる」系の学生が多い、ということである。だが、そのどちらも「とりあえず出席はする」という点では共通する。つまり、昔は「授業に出ない」という選択肢が主流派だったのに、今は、授業に参画するにせよサボタージュするにしてもとにかく「授業に出る」という選択肢の方が主流派になったのだ。この変化は一体何故か?

多くの要因があると思うが、それはシフトチェンジ期における不安の解消の仕方の変容、と僕は仮定してみる。つまり、高校生から大学生、子供から大人、へのシフトチェンジ期に、ある時期までは社会との関わりなどを通じての変化を求め、授業にはほどほどしか出ず、自分で何とか解決するために授業外・学外での試行錯誤を繰り返す学生が多かった。だが、最近はこのシフトチェンジ期のアイデンティティの不安に対して、高校以来の旧態依然の様式(とにかく出席してればいい)を固持する事によって、乗り切ろう、という若者が増えているような気がする。それに対して、大学側のアプローチが未だにレッセフェール(どうぞご自由に、自己決定、自己責任で)というスタンスであるが故に、学生側のニーズと大学側の提供資源がうまくマッチせず、そこで大学生の不安がますます増大する、という悪循環に陥っているような気がする。

では、どうすればいいのか? 一つのソリューション案として、僕はある程度の枠組み作りが必要なのでは、と感じている。「とにかく授業に出てくる」ものの、「自分で何とか解決する」ことに不安を覚え、一歩踏み出せない学生の為に、「一歩踏み出す」仕掛けを大学や教員側が提示して行かなければならない、と思う。僕の専門の障害者福祉の分野に置き換えてみると、問題はよりクリアに見える。

日本では残念ながら入所施設や精神病院に20年以上「社会的入院・入所」している障害者が少なくない。そんな彼ら彼女らの中には、適切な地域生活支援の仕組みがあれば、地域で誇りと役割を持って自分らしく暮らしている力を持っている方も決して少なくない。だが、長年の施設生活で自分の内なる想いや願いを諦めきった「施設症(institutionalism)」に陥っている人々は、「さあ自己決定・自己選択ですよ」と言われても、これからの未曾有の不安や恐怖に対峙するより、旧態依然のシステム内で、決まり切った形式で暮らしている方がよけいな苦労をしなくてすむから、と地域生活を望まない人もいるのだ。では、その人々は地域生活は無理なのか? 諸外国の実践が教えてくれるのは、施設や病院から地域に戻る時期(地域移行時=シフトチェンジ期)に厚い人手と充実した地域サービスを整えることによって、移行期の問題は解決可能だ、ということだ。諸外国に限らず、例えばお隣の長野県の知的障害者入所施設「西駒郷」でも30年間施設に入っていた人が、地域に戻るための練習やサポートを受けて、今では地域のグループホームで暮らしている。その際、急激なシフトチェンジにご本人がついて行けるように、数ヶ月の準備期間で少人数の雰囲気になれ、職員が手厚い支援をする事によって、「上げ膳据え膳」が当たり前だったご本人が、自分でご飯を作るようになって、地域へと帰っていくのである。あるいは自分でご飯は作れない人でも、ホームヘルパーやグループホームの世話人さんに平日は作ってもらう、などの選択肢を増やして、当事者が地域で暮らせる仕掛けを支援者が構築していき、それが成功しているのである。

この障害者地域移行支援から明らかなのは、シフトチェンジ期における厚い人手と充実したサービス内容が、旧態依然の様式からご本人が「一歩踏み出す」のを支援している、という構造である。これまでの大学教育は、エリート教育の名残を受けて、レッセフェール(自由放任主義)が基調であった為に、「自分で何とかする」という力のない学生を取りこぼしてきた。だが、時代の変化と共に、「自分で何とかする」、ということのハードルが年々高くなっている。それと共に、「自分で何とか出来ない」から旧態依然の思考行動様式にしがみつく、という学生も増えていると思う。このような学生に対して、大学はレッセフェールであってはならない。「授業に出るけれど、しゃべる」という学生さんも含めて、何らかの枠組みや支援を必要としている学生の数は年々増えているのだ。もちろん教育と福祉は概念も領域も異なるが、こういった「何らかの枠組みや支援が必要な学生」に対しては、障害者のシフトチェンジ期の手厚い支援を真似た「移行支援」があってもよいのではないか、そう考えている。

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なあんだ、さっきの半分の長さで書けてしまった・・・。

投稿者 bata : 09:39 | コメント (0)

2005年08月29日

国際免許と地域貢献

ブログの右側にあるカレンダーを見ていると、今月、なぜか月曜日はブログを書いていない。ついでに言えば、木曜日も全く書いていない。別にたいした理由があるわけではないのだろうが、今日は余裕があるので、月曜日のブランクを埋めてみようと思う。

金曜日に出張から帰ってきて、その後大学で仕事をこなし、土曜は講演、日曜日はオープンキャンパスと予定がみっちりだったので、今日は「臨時休業」。朝、奥さまを送って少し仮眠をとった後(至福の二度寝!)、週末から出かけるアメリカ出張に向けて、アポイントのメールを考える。昔、ジャーナリストの師匠が「アポさえ取れたら、取材の半分以上は終わったも同然」と仰っておられたが、確かに特に海外の場合、自分が行きたい場所にねらいを定めても、うまくアポを取って、連絡を付け、日程を固めるまでの行程がめっちゃ大変だ。北欧では、通訳の方にコーディネーションのお世話になることもあったが、自分でそのまねごとをしてみると、改めてその方々のご苦労に敬意を表したくなる。ほんと、骨折り仕事です。でも、ようやく日程がボチボチ固まってきて、今回の調査も面白そうになってきた。ただ、予習がまだ全然進んでいない・・・。あと3日で、さてどこまで追い上げが効くかしら・・・と書いているが、きっと機内と現地でも、にわか勉強は続いているのだろう。

英語のメールを書いて、お風呂と食器を洗った後は、素麺をスルッと食べて、アクセラ号で出かける。今回のアメリカ調査は移動が多いので、レンタカーを借りることにした。そのために、国際免許証の手続きの必要があるのだ。スウェーデンではボルボステーションワゴン(勿論レンタカー)でかっ飛ばしていたが、一方通行の多い大都会、サンフランシスコでちゃんと運転で出来るかが、ちょっと不安。でも、最近は日本語ナビ付き、というのもあるので、もちろんそれを予約する。日本ではナビなど必要に感じず、実際アクセラ号にも付けていない。地図を見て、道を身体で覚える方が、後々楽だ、と古くさくも考えているからだ。でも、さすがに英語圏で、左ハンドルで、慣れない街で・・・となると、断然こういうサポートがあった方が、迷子にならなくて済む。文明の利器に心からの感謝、である。

運転免許センター→ジム→自宅へと運転しながら、昨日のオープンキャンパスで感じたことを、思い出していた。昨日も政治行政学科志望の学生がたくさん来てくださった。僕はまた、模擬面接を担当していたのだが、12時半から3時半くらいまで、ひっきりなしに対応していた、と思う。そのとき、前回も感じたのだけれど、今回もやはり感じたのは、「警察官」「消防官」「役場職員」の志望者の多さ。で、模擬面接なので、「なぜ○○になりたいのですか?」と聞くと、多くの人が判で押したように、「地元で地域に貢献したいから」「人の役に立ちたいから」とお答えになる。で、もう少し突っ込んで、「でも地域に貢献したいのなら、○○にならずとも、福祉系や環境保全系、教育系の仕事などもあるだろうし、フルタイムで貢献しなくても、自治会とかNPOとか、色んな貢献の仕方があるんじゃないですか?」と聞くと、多くの方がまごつかれる。「やっぱり安定しているから」という答えもあるが、「田舎じゃそれ以外の仕事があまりないから」という答えも返ってきた。それで、考えこんでしまったのだ。

テレビを付ければ小泉首相は「官から民へ」「小さな政府へ」「公務員を削減する」・・・と繰り返す。その是非は別として、では地方で、官の仕事が本当に民に委譲されるのか、地域を再生するための、地域で豊かに暮らすための、新たな仕事創りをこの国はどれだけ真剣に考えてやってきたのか?それを考えてしまうのだ。模擬面接の場で、「ええかっこ」している部分もあるかもしれないのだけれど、多くの学生さんが「地元のために何かしたい」「人の役に立つことをしたい」と答えてくださっている。こんな志がある学生が多いのに、なぜその受け皿は公務員、と短絡的直結をするのか? それはその学生さんの考えが浅はかだから、ではなくて、むしろ、実際に地方に行けば行くほど、公務員以外の職業が、やはりかなり危機に瀕しているからではないか? そんな予感がしてしまう。

もちろん、だからといって、では公務員を増やすことが解決策だ、と単純化するつもりもない。ただ事実として、大都市一極集中が叫ばれて久しいが、こうして自分の育った地域で仕事したい、と思っている若者も、少なからずいるのだ。その際に、彼ら彼女らが胸を張って行える仕事が、地元にどれだけあるのか? グローバライゼーションの波の中で、そういう地域の活力がどれだけ減退しているのか? 学生さんが地元で夢を持って働ける職場がどれほどあるのか?・・・それを、学生さんとのやり取りから感じはじめたのだ。

地域で安心して働ける、というのも、地域福祉を考える上で、大きなキーワードの一つだ。せっかく山梨に来たのだから、少し日本の地方(地域)の持つ力、についても、これから考えてみよう、と思う。

投稿者 bata : 18:48 | コメント (1)

2005年08月27日

台風とケアマネ

台風にはさんざんな目にあった。

実は台風が直撃してきた木曜日の夕方、関西のフィールド訪問を終え、まさに台風が近づく静岡付近を通って甲府に帰ろうとしていたのだ。で、何が甘かった、って京都駅ではその時間、新幹線も動いていたし、運休情報も夜行列車の運休情報しかなかった。なら何とか逃げ切れるだろう、という読みが甘かった。名古屋までは何事もないように進んでいた新幹線が、突如ゆっくり走り始めたのが豊橋付近。やばいかもなぁ、と思って、念のために非常用のお茶を買いに出かけたついでに、車掌室で状況を聞いてみると、「身延線は止まっていますよ」。しもうた。車掌さんが切符を切っている時に聞けば、名古屋から中央線経由で帰れたのに・・・。でも後の祭り。結局豊橋と浜松で1時間以上とまり、2時間半遅れで静岡着。あずさも止まっているので、中央線経由も絶望的だから、と静岡で一泊した。で、翌朝一番の特急列車も運休で、結局金曜日の昼にようやく甲府に帰り着く。身も心もクタクタになった。

まあでも、電車が遅れたおかげで、今回は出張の際に持ち歩く「読むべき資料」がバーベルにならずにすんだ。来週カリフォルニアに出張なので、その下準備でてんやわんやなのだが、ようやくポイントがおぼろげながら見えてきたような気がする。

今回、アメリカの精神障害者の権利擁護の現状と、脱施設政策の実際、そして今度の障害者自立支援法案にも盛り込まれている「ケアマネジメント」が実際にどう展開されているのか、を取材しに出かける。障害があっても地域で自分らしく暮らす仕掛けを作る際には、「地域移行」を政策課題として推し進めることと、地域で必要な社会資源とアクセスが出来るように支える「ケアマネジメント」、そしてそれらを法的にも実体的にも支えるための「権利擁護の仕組み」の3つがなければ、絵に描いた餅になる。日本で予定されている制度改変案を読んでいて一番疑問に思うのが、「ケアマネジメント」は推し進めても、あとの「地域移行」と「権利擁護」を重点政策課題に置いていないから、結局「ケアマネジメント」がお金をいかに効率的に使うか、という「マネジド・ケア」(総額いくら、の中で何とかやりくりしなさい)の発想に矮小化されてしまっている点だ。本来のケアマネは、スウェーデンでもアメリカでも、あくまでも「本人の地域自立生活を支える」というのが主目的であって、本人の社会参加の推し進めるための仕掛けである。決して「予算がこれしかないから、この中で社会参加を我慢しなさい」というサービス予算管理的発想ではない。このあたりのことを、アメリカの実態や、その課題も含めて調査していかないと、と思っている。

今回の自立支援法案をめぐる一連の動きを見ていて思うのは、日本では厚労省案に「対案」を提出するだけの力量を備えた組織なり集団というのが(特に精神保健の場合は)まだほとんどない、ということだ。本来の制度政策研究をする中では、役所の出してきた案を批判するのも勿論大切だが、ではその批判された問題点を克服するにはどうしたらいいのか、の対案を、制度政策レベルで構築していかないと、いつまで経っても問題は解決されない。スウェーデンでもアメリカでも、当事者や支援者、あるいは権利擁護機関などに政策分析能力のある専門家がいて、対案なり政策提言があって、それが制度に豊かに反映される形になっている。そろそろ反対要求一辺倒の方針から、提言・対案を作り、行政と当事者の双方が納得できる策を構築する作業へと方針転換することが、日本の社会政策の分野でも今、求められている。今回のアメリカ調査がそれに直接どれほど役に立つかはわからないけれど、少なくともケアマネを本当の意味で政策的に機能させるための「地域移行政策」と「権利擁護」については、しっかり調べて来ようと思っている。

投稿者 bata : 11:31 | コメント (0)

2005年08月24日

40分間ライブ

久しぶりに電車の中でパソコンを開いている。。

西大路から乗った、加古川行きの快速電車。そう書いても甲府の人にはピンとこない地名だらけ。そう、今日は京都の実家から大阪のフィールドに出かけるために、JR東海道線に乗っている。そして僕が乗ったのは、京都駅から大阪方面へ一駅目の西大路。そう、あの東大路、西大路、の西大路駅。ここは、僕が大学時代にいつも利用した駅でもある。

僕は大学院生の時に一人暮らしを始めるまでは、ずっと実家から通っていた。高校までは自転車で通える範囲で、予備校は大阪だけれど阪急電車を使っていたので、このJRに頻繁にお世話になることになったのは、大学に入ってから。1,2回生(関西では大学生は○回生と言うんだけれど、よそでは言わないようですね)までは大阪まで一度出て、そこから私鉄に乗り換えて大阪空港の近所まで出かけ、3回生以後は昔の万博会場後がキャンパスなので、大阪より少し手前の茨木駅まで乗って、そこからバスに通っていた。どちらにしても、JR西大路駅から普通電車にのって出かける、というのは、ある種「身体化された」パターンだったのだ。

この電車は、車窓がすごく良い。ちょうど今書いている最中に列車は山崎駅にさしかかった。ここはサントリーウイスキー「山崎」のあの山崎、である。そういえば、山梨には「白州」があるし、なぜかウイスキーの産地近くに住んでいることになる。ま、それはさておき、この天王山の戦いが開かれたあたりは、京都と
大阪のちょうど中間なのだが、まだ田園地帯が残っているのだ。

山梨に来ると、田園やぶどう畑がすっかりおなじみの風景になったが、それまで京阪神で暮らした僕にとっては、田園は年を大事に消え去っていく風景。だが、この京都と大阪の中間地帯には、結構昔からの農家や集落、そして今は青々とした稲作風景が垣間見られる。春は山崎の神社の桜も見られるし、秋から冬の稲作後の風景も「いとわびし」である。また、JRからちょうど西側の車窓では、見事な夕陽を拝むことも出来る。電車の中では本を読んだり、必死になってレポートを書いていることもあったけれど、なぜかこの山崎付近ではぼんやり車窓を眺めて、思考回路のスイッチを止めていることが多い。そして、この風景を眺めながら、のスイッチオフの状態が、気分のリフレッシュにたいそう役に立っていた。

スイッチオフ、と言えば、大阪に出張の際によく利用する身延線も、ぼんやり眺めるには実に良い車窓である。富士川沿いにうねうね山道を越えていくのだが、昔の軽便鉄道の規格をそのまま使っている為もあってか、とにかく急カーブの連続。すると、「特急電車」と言えども、時速20キロくらいでえっちらおっちらと曲がっていく。横を走る車がびゅんびゅん抜いていく、現在にしては珍しい、のんびり「特急」である。甲府−静岡に2時間がかかる。それでも新横浜まわりより少し早いので、時間帯が合えばこちらを利用する。この身延線の緑あふれる風景も、本来読むべき宿題の書類達を忘れさせてくれるに充分な風景だ。こうして「出張の際には読めるだろう」と毎回欲張って本や書類を一杯入れていくのだが、その半分以上!?が単なるバーベルの役割を果たしてくれているのである。とほほ。でも、富士宮から富士にかけて見える富士山は、やはり毎回見とれてしまう。

かように僕は電車旅が嫌いではない。というか、告白するとその昔は「てっちゃん」(=いわゆる“鉄道オタク”ってやつ)だったのです。でもオタクとしてはあんまり気合いの入っていない輩だったので、そのうち興味が写真に移ると、電車の写真さえ撮らなくなって、集めたコレクターグッズも他人にあげたり捨てて
しまう、というあまちゃん。どうも何か1つのことをずっと「集める」「所有する」という執着心があまりないようだ。そんなオタクの風下にもおけないタケバタではあるけれど、いまだにやっぱり列車で旅をするのは好きだったりする。

山梨に来て、車生活になって、日常的に列車に乗ることはなくなった。だが、一度出張すると、それが東京であれ、大阪であれ、列車で割と長い間旅をすることになる。移動は確かにしんどいけれど、でも車窓はやっぱり楽しい。特に、新幹線より在来線を旅する方がいい。正直新幹線は早すぎて、車窓をぼんやり眺めていても疲れてしまう。一時期毎月のように東京−大阪を往復していたが、本当にそのときに新幹線に飽きてしまった。だが、今乗っているこの快速電車や、あるいは身延線のように、のんびり走る列車は、やっぱり飽きない。

などととりとめもなく書いているうちに、電車は新大阪を過ぎ、今は淀川を渡っている。この鉄橋の音を聞くと、そろそろパソコンの電源を落とさねばらならない頃合い。そう、大阪駅に近づいた。というわけで、今日はすっかり「40分間ライブ中継」をしているうちに、ブログも書き終えてしまった。では、現場に行ってくるか。

投稿者 bata : 17:08 | コメント (0)

2005年08月21日

予言の自己成就とタケバタの「予言」

予言の自己成就(by マートン)について考えている。

大阪から帰る際に読んでいた「いそぐときほど、ゆっくりと」(ザイヴァート著、技術評論社)と、今読んでいる「健全な肉体に狂気は宿る」(内田樹・春日武彦著、角川書店)では、良いイメージ・悪いイメージの両方から、この問題を論じていた。前者はタイムマネジメントに関する本で、一生の、年間の、1週間の、そして1日の目標をイメージして、そのイメージを実らせる為に、仕事と余暇、家庭、健康などをバランスよく配分していくことを勧めてくれている。後者の対談本では、悪い予想をイメージとして浮かべれば、その浮かべられたイメージに拘束されてしまって、その結果イメージ通りの悪い結末になり、「やっぱりだからうまくいかないんだ」と変に安心してしまう、その回路の事について議論されていた。

僕自身も、確かに良いことも、良くないことも、予言の自己成就的側面が結構人生において、あると思う。特にこの週末に考えていたのは、「良くないこと」の予言の自己成就。だいぶ意識化して、コントロールできるようになってきたけれど、それでもある問題に対して、「どうせ・・・」「このスケジュールなら・・・なんてムリ」などと決めてかかる事がある。そして、それが本当になりそうになると、イライラが増し、確定的状況になると、「やっぱりそうだったんだ」「なんて僕はついてない」などと一人爆発していたりする。だが、これは典型的な予言の自己成就の帰結。内田・春日両氏によれば、自分が「できない」というイメージを膨らませていくと、そのイメージを実現するために躍起になって、「できない」局面を構築さえしていき、なんとかそれを成就させるために必死になる、とのこと。そういう文脈で自分の問題を考えると、「できればいいな」と思いながら、最初から「できない」ことを予期して、「できない」自分への心理的負担を減らすために、あらかじめ出来ない時点での怒りや悲しみを前もって発生させている局面がある。これは自分だけの問題でもそうだし、相手が絡む問題でも、相手をそういう感情的渦の中に巻き込んで、そういうことを実現させていると思う。そして、書きながら気が付いたのだが、これは自分がコントロールしにくいと「思いこんだ」課題に固有の問題だと思う。

そういう課題に関して、ムリして張り合おう、という発想がそもそも間違いなのだ。「○○に決まっている」と決めつけるのは、自分がコントロールしにくいその状況をコントロールした気分になっている、強がりの弁に過ぎない。そんなことにエネルギーを注がなくとも、回避するための方策を積極的に採ることが出来る場面もあるだろうし、そういう方策がとれる状況ではなくとも、少なくともそういうマイナスのイメージに支配されないよう、他のことにエネルギーを注いだ方が随分ましだ。それに予言するから成就するのであって、予言しなければ、色んな未知の不確定要素が飛び込んできた時に、その場その場で新たな再解釈をした上で、新たなソルーションを求めることが出来る。予言をしてしまうから、その後の新たなファクターも予言の範囲内に納めようとしてしまうのだ。ならば、ネガティブなことについては、予言をせずに、その後の「時の流れに身を任せる」ほうが、本当に求める結論への近道なのだと思う。

逆に言うと、ポジティブなことについては、もっと予言の自己成就を狙ってもいい。先述のタイムマネジメントの本などは、まさにこれをマニュアル化したもの。10年後の自分はどうなっていたい、そのために5年後にはどうなりたい、だから1年後にはこれを達成したい、そのためにこの1ヶ月、この1週間、そして今日は・・・これって僕が受験生を教えていたとき、彼ら彼女らに繰り返し伝えてきた「逆算法」だ。なるほど、他人様にはちゃんとそうやって伝えてきたのね、タケバタ君は。では、ご自身には?

紺屋の白袴。医者の不養生。だから、また本を買ってみたりしているのである。ここ最近、自分の仕事をどのように形にしていけばいいのか、に少し焦っている。そんなときだからこそ、「いそぐときほど、ゆっくりと」というキャッチフレーズが目に飛び込んできた。でも、今この文章を書きながら思い出したのが、「焦っている余裕があるのは、やっていない証拠」。これは誰の言葉かって? ハイ・・・この言葉も、何を隠そう私タケバタ自身が受験生に何百回と言ってきた言葉であります。

“「どうしたらいいでしょう?」「ムリなのかなぁ」なんて焦っているのは、まだ余裕のある人の言葉です。本当に実践している人は、そんな迷ったり焦ったりしている余裕すらなく、目の前の課題に没頭しているはずです。だから、悩んでいる暇があったら、実行しなさい。”

僕は今、自分の「予言」にグサリときている。

投稿者 bata : 19:13 | コメント (0)

2005年08月20日

観念の虜

大阪から帰ってきた。グッタリ疲れる。

長野に一泊二日で出かけ、いったん甲府に戻ってきてから、今度は大阪に一泊二日。どちらも一泊だが、気分的には三泊四日くらい疲れている。挙げ句の果てに、甲府からの良くないニュースも重なり、電車が甲府に着いた頃にはイライラつんつん。これはよろしくない、と思い、入れ替わりに会社の同僚と遊びに出かけるパートナーを送った後、コイン洗車場へ。7月初旬の納車以来、3回目の洗車。一月半で2300キロほど走っていて、結構乗り回しているのだなぁ、と思いながら、虫や鳥の糞などが付いてしまったアクセラ号を洗車機にかける。その後は、から拭き。夕方で日差しは和らぐが、くまなく車体を拭いて、こびり付いた汚れを重点的に拭き取っていると、汗が噴き出る。中古車時代にこのような愛情は全く注がなかったのだが、新車と思うとなぜかこれほど気合いが入るのが不思議。

で、ホイルもついでに拭いていて、あーあ、発見したよ。バッドニューズの元凶である、奥さま曰く「下をこすった」傷を発見。下じゃなくて、横じゃん。前輪左タイヤが結構こすれて白くなっている。あの変化は相当ズリズリやったようだ。それだけでなくホイルの傷に、それから前輪の泥よけ部分がちらっと曲がっている。何でも路地に入ろうとしたら逆の一通で、でも後ろにも前にも車が来ていて、無理矢理路肩を越えようとしたら、段差を引っかけたそうな。その現場を通るが、結構な大きい段差。おいおい、ちゃんと見ておくれよ・・・とほほ・・・と腹は立つが、まあ致命的な傷でもなく、何より彼女は無傷なので、まあいいか。奥さまは出かけていてよかった。多分彼女がそばにいれば、絶対にチクチク嫌みを言って、喧嘩にでもなったろうに。

で、不思議なのが怒りの感情なるもの。今日はその他にも良くないニュースがあって、怒りのエネルギーは続いていたのだが、車を磨いて、その後ジムで一時間、体脂肪燃焼モードでバイクをこいでいるうちに、その怒りのエネルギーとしんどさと、マイナスの気分まで吹っ飛んでしまう。あの感情はいったい何処に行ってしまったのだろう? クルミを集めたことを忘れるリスのようだ。論理的に考えれば、致命的な傷ではなく、誰だって失敗することはあるし、あげくの果てに奥さまはまだアクセラ号に慣れていない。ならば仕方ない、とすっと思えればいいのだが、イライラの観念の虜になっている間は、「ちゃんと注意してよ」「どんくさいなあ」・・・など相手の立場を考慮しない身勝手な罵詈雑言が頭の中を飛び回る。しかし、身体をフルに使って観念の虜を体内から追い出してしまえば、先述の論理的な説明をすっと受け入れられる。この自分が「虜の中にいる」という意識化と、それを抜けるための「ワークアウトの技法」をきちんと構造化すると、きっとストレスフルな日々でも何とか対応できるんだろうなぁ、と思う。ダイエットだけでなく、メンタルヘルスの為にも、やっぱジムなりテニスなりは続ける方がいいんだなぁ、と再認識する。

すっかり暗くなり、お月様もきれいだなぁ、と思いながら、ジムからの帰りに石和のお祭りに遭遇。そういえば今年は夏祭りや花火大会に一度も行っていない。明日は石和で花火大会なのだが、奥さまはテニスの練習なので、それも行けない。実はこれにまつわる話が二つ目のバッドニューズなのだがあまりにもトリビアルなので書くことはしない。実にくだらない事で腹を立てているよなぁ、と思いつつ、くだらないことだからこそ、ロジカルに考えずに腹を立てているのかも。なんだお前、まだまだしぶとくネチネチ腹立っているのか、と思われるかもしれないが、これは虜の意識化の二つ目の戦術。題して「ネタにして忘れる」。ブログはこういう感情消費の題材にもなっているんだよなぁ。

そうそう、感情消費と言えば、先日会った方が、2ちゃんねるの掲示板で、感情消費の題材になって(単純に言えば誹謗中傷の的になって)困っている、とこぼしておられた。ネット上での感情消費は、このブログのように、自身のサイトで、記名式で、自身が責任を取る形での感情消費なら良いのだが、ああいう匿名サイトでの、無責任な中傷という形での感情消費は、される側はたまったものではない。気にしなければいい、というのは、あくまでも他人事であり、もしも自分のことが悪く書かれたら、相当しんどいだろうなぁ。心よりその先生に同情の意を申し上げる。無責任な誹謗中傷の垂れ流しは、明らかに観念の虜への埋没だ。そしてそういう行為を続けても、結局のところ、書けば書くほど、ストレスが溜まり、墓穴を掘っていくだけと思う。僕自身は体育会系では全くないのだが、「悪口書くより身体を使ったほうが、身も心もすっきりするよ」とこの件ばかりは声を大にしていいたい。

投稿者 bata : 21:33 | コメント (0)

2005年08月19日

現場考

研究者にとっての現場とは?

出張先からの帰り、甲府まで乗せていった仲間から言われて、以来、ぼんやり考えている。
水木と長野に出張だったのだが、調査の出張(今回はその打ち合わせ)の際に楽しいのは、仲間の研究者と、夜、一杯飲みながら、色々議論が出来ること。今回も志を同じくする仲間と車中で、現場で、夜ご飯を食べながら、議論が続いていた。その際、研究者にとってどれだけ現場に通えば、「現場のことがわかっている」ということになるのか、という話題になった。そこで出てきたのが、冒頭の疑問だ。

僕の関わっている福祉の世界では、理論的な研究ももちろん大切なのだけれど、実際に何らかの支援を行っている人と、その支援を受けている人、が存在している。その支援が行われている場のことを「現場」と呼んで、「現場発の研究」「現場をないがしろにした研究」などという言葉が使われる。ただ、この際問題になるのは、ではいったいどれほど現場に関われば、「現場がわかっているか?」ということだ。

福祉の本を色々買ってみて思うのは、現場でずっと関わってこられた研究者の本は、自分が関わった現場の普遍化を目指されるのだが、それが十分に普遍化出来ていない場合もある。逆に理論派の先生の本の中には、現場で全く使い物にならない理屈ばかりこねている本もある(もちろん例外的に秀逸な論もあるが、それは「例外」の範疇に入ると思う)。理論と現場の往復の中から、「現場にも響く理屈」「理論にも響く実態」がうまく反映されているものは、なかなかない。かく言うタケバタだって、どれだけそういう論文が書けているか、と言われるとアヤシイ・・・。

また論文レベルでなくとも、「現場がわかる」とはどういうことか、にも疑問がある。例えば現場で20年働いて来られて研究者になられた方が、「私は現場でずっといたので」と仰る。だが往々にして、その1カ所の現場のことはご存じかもしれないけれど、他の現場の事をどこまでご存じで、ご自身の現場をどれだけ相対的に見ておられるのか、というと、結構独善的な方もおられる。しかし一方で、例えば研究者だけれど現場に精通している、という人でも、ざっと現場に一二日入っただけで、さもその現場を知り尽くしているような顔をしている人もいる。僕は、どちらかと言えば後者に近い。あちこち見に行くけれど、どこも1,2日のことが多く、たまに長く関わっても、所詮は毎週通っても半年だけの定点観察、という感じだと、「それで現場の何がわかるのですか?」と現場の人に言われたら、ほとほと困ってしまう。だが、では毎日現場にいる人が、その現場の事象を普遍化することが出来るか、というと、それもまた違う場合がある。

結局は普遍と具体、理論と現場、という二つのベクトルに自覚的で、現場発でも、理論発でも、逆側のことも常に視野に入れながら、考え続けることが出来るかどうか、が、現場と理論との往復にとって一番の架橋となるのだろう。実際にケアに従事している人、ケアを受けている人、とタケバタでは、現場の意味づけが違っている。とりあえず、僕にとって現場とは、福祉的課題が実際に発生している場、と考える。そして、その場でのタケバタのスタンスは、大変月並みだけれど、発生している課題は根本的にはどのようなものか、を抽出し、解決の糸口を探り、時には現場の人々に返せる何かをアウトプットしていくことだ、と今は考えている。

投稿者 bata : 03:41 | コメント (0)

2005年08月16日

採点とテニスと減量

ようやくテストの採点が終わる。

今日、出席点とレポートの点数をつきあわせていた。教員になってつくづく思うのだが、レポートの判定って、実は出席と結構相関が高い。学生時代は「あんなレポート課題で、本当に判断出来るの? 教員が適当につけているんとちゃうん?」と思っていた。だが、自分が採点する側になって、レポートをざっと採点し、点数の高いA以上のものから、不可(D)のものまでずらっと並べて、それを出席点とつきあわせると、特にCや不可のDと出席回数とは、見事に一致する場合が多い。つまり、「出席していなければ、ちゃんと書けない」という、ごく当たり前の事なのだ。もちろん例外的に、少し休む回数が多い人でも、ちゃんとこちらが伝えたかった勘所をつかまえ、その上で自分の意見をバシッとまとめてくる人もいる。でも、これはごく例外的。多くの場合、「このレポートではいかんやろう」と判断した人の出席回数は、他の人に比べて著しく悪かったりするのだ。だから、大学教員の単位認定にも、一定の合理性があるのですよ♪ と、ひとり言ってみたくもなるのであった。

午後3時頃、ようやく採点を終えて、あたふたと研究室の片づけと帰る準備。明日から長野と大阪のダブル出張が続くので、いろいろ資料を持って帰る。来月頭のアメリカ出張の予習の資料(もちろん英語)もたんまりある。「これを全部読むのかよぉ・・・」と思うと、ちょっと暗澹たる気分なのだが、ブーたれていても仕方ない。とにかく、大阪行き片道5時間は、今回は睡眠も飲みもなしで、ひたすら資料漬け、のはずである。サボらないか、自分が一番心配なのだけれど・・・。

で、夕方5時半から、近所の公営テニスコートで奥さまとテニス。彼女は先月から、会社の仲間に誘われて始めたのだが、僕も久しぶりに先週からラケットを握る。実に5年以上ぶり、くらいだ。僕の実家のマンションは川沿いにあり、その河川敷の公園に無料のテニスコートがある。我が家は僕以外みなテニス家族なので、僕も家族に教えてもらって、河原でその昔、たまにテニスをしていた。サッカーも野球もするのは大嫌いなオタク系少年!?だったタケバタくんも、テニスと水泳だけは、なぜか好きだった。多分、自分のペースで出来るのが、向いているんだろう。その後、大人になってランニングも好きになり、今ではジムにも通っている。要するに、集団行動で人に気を遣いながら、下手くそな自分を恥じながら、人前で足手まといになるのが嫌なのだ。その点、自分の世界に入れるスポーツは、へたっぴでもマイペースで出来るからいい。こういうマイペースは、小さな子供の頃にしっかり根付いていたのだった。

テニスを久々に再開して、最初のうち、ラケットにボールが当たること、早く打てること、いかに枠内に返すか・・・など自分のことしか考えていないテニスだった。今までならそれでよかったのだが、わがパートナーは当然のごとく「ちゃんとストロークできるように、わたしのいるところに返してよ!」と宣う。で。そこではっと気づいた。「そうだ、自分勝手じゃだめだ。相手がいるんだから!」 こんなことに今頃気づくようでは、本当に情けない。でも、そうやって気づいたら、何だか無駄に力んでいたのも消えて、うまく当たるようになってきた。で、不思議とストロークもうまく続くし、これまでサーブなんて全然出来なかったのに、なぜか今日はゆっくりだけれど入るようになった。自分のスタンスが変わると、運動の姿勢にもこうも変化が出るのだ、というのは、これはこれで大きな発見だった。

で、今、風呂に入る前にこの文章を書いているのだが、今日の最大の楽しみはこれから。何、ビールかって? それもあるけど、その前の「体重計!」。じ、じつは、夏バテで食事が細ったこともあり、昨日計ったら3キロほどやせていたのだ! 夏バテも少しはいいことしてくれるじゃん。まあ、まだ肝臓は万全ではないので、アルコールも控えめにして、運動もして、よく噛んで食事の量もちょっとセーブして(というか今まで食べすぎでした・・・)、これは一挙に夏、やせてしまうといいじゃん、なんて都合の良いことも考えております。

さて、何キロかしら・・・!?

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2005年08月12日

お盆休みの効用

夏バテ、でへたばっていた。

始まりは火曜の夜。秋刀魚の開きが売られていて、それを山梨県産の美味しい白ワインと共に頂いていた。これはあの食品メーカーのフジッコが作っているワイナリーの白ワインなのだが、なんかの大会でも賞を貰ったほど、だそうで、結構すっきりした辛口でよかった。で、奥さまが半分残した秋刀魚を無理して食べた、のがいけなかった。その後、どんどん胃がむかついてくる。こりゃあ単に油っこさに胃がやられたから、寝たらなおる、わけではなかった。翌朝も、大学で仕事をしていても、ずっと気持ち悪さと胃の不全感は直らない。夕方ジムに行っても、やっぱりだめ。もしかしたら夏バテなのかも・・・。ジムのエアロバイクに乗りながら考えていると、確かに「初めての甲府の夏」×「ずっとクーラーの効いた部屋での座り仕事」×「毎晩ビールやワインで晩酌」×「夜はクーラー付けっぱなし」・・・すでにこれだけで夏バテ要素が十二分にある。そして、浅い睡眠まで付け加わると、もう完全な「夏バテ」のいっちょあがり、である。

あれま、と思い、昨日と一昨日の夜は、ほとんどアルコールを抜きにした(といっても奥さまが飲まれるので、コップ一杯は飲んじゃったのだけれど)。今日は大学が停電しているので、家で休養。そういえば、今年はお盆も全くなく働く予定。お盆休みって、夏バテでへたばった時期にあるなぁ、と考えると、日本の式のリズムの合理性にも深く納得してしまう。

で、お盆というと、一昨日の夜、友人から電話。「今年は実家に帰ってこないの?」というお誘い。「ごめん、まだ仕事がいっぱいあって、今年は帰れそうにないよ」と返事しながら、四方山話。彼とは、小学校5年生の頃、からだから、足かけ20年近い友人である。高校までは同じで、大学で僕が社会科学、彼は自然科学、にすすみ、今や彼は現場、僕は教育機関、という違う境遇だ。色々話し込んでいて感じたのは、今の彼が、小学校の頃の様な、謙虚な自信と夢を持った、誠実さのある男に戻ってきた、ということ。小学校時代から色んな議論を彼としてきた僕にとっては、中学校以後、才能を開花させた、と言えばそれまでだが、何だか言動が派手になり、突っ走る姿にどこか「ついて行けないよなぁ」と感じるものがあった。しかし、お互い30ニなって、電話越しで話している彼は、物腰もすごく穏やかで、でも自分が抱いている夢を実現さえたい、という熱い気持ちをきちんと胸に秘めている、10才で出逢った時の「少年」と同じスタンスに戻っていた。

「お互いみずがめ座のA型やから、根は慎重なんやで」とボソッとつぶやく。確かに僕も彼も同じ2月生まれだ。だが、別に歩んでいく道も違い、その歩幅や指向性も当然違う。にもかかわらず、彼が出逢った頃の真っ直ぐさ、を今も持っている事が嬉しく、また彼から反射された僕の姿勢も、どうやらまだ真っ直ぐさが失われていなさそうだ、ということに気づけて、こちらも嬉しかった。お盆休み、とは、こうした「振り返り」と「夏バテ休暇」を与えてくれるもんだなぁ、とありがたく思っているうちに、すっかり2時間半近く、話し込んでいた。

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2005年08月09日

流れた一日

昨日の夕方、生まれて初めて清里に出かける。あの別荘族が沢山暮らし、夏になったら都会の人々がわんさか来る、という「噂」しか聞いたことのない、清里にである。とはいっても、我が家から地道で1時間近く、八ヶ岳の山麓を登っていけば着いてしまう。馬力がでかいアクセラ号なら、ズンズン走るので、軽いドライブ気分ですぐ着いてしまった。で、お目当ては「フィールドバレー」である。http://www.moeginomura.co.jp/FB/2005/

本来なら、上のHPにあるように、夜になると相当ひんやりする清里の高原で、こぢんまりとした野外舞台のを目の前に、芝生にゴザを引いて、のんびり「白鳥の湖」を鑑賞するはず、だった。そ、それが・・・。開演1時間前の午後7時頃から、急に雨。しかも、どんどんドンドン強くなってくる。最初は「2,30分の通り雨だろう。始まってから雨が降るよりましだ」なんて悠長に言っていたのだが、雨はついに滝のように地面を叩きつけ、安物のポンチョは全く役にたたず身体がずくずくになる始末。こんな土砂降りがよりによって・・・と思っている内に、とうとう会場の放送が、「開演予定時刻を15分過ぎても雨が降り続くので、今日は残念ながら中止とさせて頂きます」と告げる。まあ、今からびしょ濡れの芝生でガクガク震えて風邪までもらって見るよりは、来年もう一度来た方がいいよなぁ、と妙に納得。全く腹が立つことなく、今年は場所も現場の雰囲気も掴めたし良い予習だった、と思いながら、帰路につく。ちなみに国道も一部水びだしの地域まであり、せっかくのアクセラ号がまた泥だらけ、となっていった。

で、帰って風邪を引かぬように熱い湯につかって、一杯やり直しながら、テレビをカチャカチャ。そう、テレビではずっと衆議院解散の一日の動きを報じていた。実は、この日のテレビ報道で報じられることはなかったが、この解散の「おかげ」で、ある法案も自動的に廃案になった。そっちの方が、僕にとっては大変大きな意味を持つ。それは、障害者自立支援法案のことだ。

昨年10月12日に国の社会保障審議会障害者部会で厚労省から提示された「改革のグランドデザイン案」。ここには障害者への原則1割の応益負担や精神障害者の通院公費医療負担制度の廃止など、所得保障が確立されていない障害者への大幅な負担増を求める内容が盛り込まれていた。65歳以上の高齢者を対象とした介護保険法との統合を視野に入れたものである。身体、知的、精神、児童と別れていた福祉法を統合し、同じサービスを同じ体系で受けられる、しかもそれが障害者の「自立を支援する」というスキームで改正しよう、という方向性は、一見聞こえがよい。

だが、この厚労省の「グランドデザイン案」で明確になったのは、厚労省の考える「自立」が「身辺自立」や「タックスペイヤーになること(by 尾辻大臣の国会答弁)」である。この概念に当てはまる「自立」が出来る障害者は、全体のごくわずかな割合でしかない。重い障害故に、一般就労は難しかったり、身辺自立は絶対的に無理な人の方が多い。そんな障害者の地域自立生活支援において大切にされてきたのは、「自己決定の自立」。つまり「3時間かけて自分で服を着替えるより、介助者に指示して3分で着替え、あとの時間を自分らしい生活に費やす自立」という考え方だ。今回の法案で示された施策の中身は、「自己決定の自立」を支えるにはあまりに貧しいメニューしかなく、多くの障害者団体が、この法案に対して異議を唱え、大きな運動もしてきた。
http://www.j-il.jp/jil.files/daikoudou/daikoudou_top.htm

一方厚生労働省は、この間、ものすごいスピードで議論を進めようとしていた。10月に案を出し、通常国会で通過させ、改革の一部はこの10月からスタートするつもりで、今年度予算にも既にその方針を盛り込んだ予算取りをしていたのだ。厚労省の言い分は、簡単に言えば、障害者関連の予算が毎年赤字であり、1割負担に応じないと財務省がこれ以上障害者の予算を確保してくれない、という一点張り。ならば、その予算の問題について財務大臣も呼んで国会で審議すればいいのだが、財務大臣も来ず、十分に審議されないまま、衆議院では与党による強行採決。

世界に目を転じれば、Nothing about us without us!(私たちぬきで私たちのことを何も決めないで!)を合い言葉に、障害者に関する法律は障害者が参画して決める方向が「グローバル・スタンダード」となりつつある。国連の場に置いても、障害者権利条約策定に向けて障害者が参画した形で、条約への議論が続けられている。日本の外務省だって、日本の障害者と大変友好的に条約作りの場で協働している。なのに、国内では、「予算がない」の一言で、法の対象となる障害者自身の声が反映されぬまま、半ば強引にものごとが決められようとしてきた。そして、参議院での強行採決も現実味を帯びていたのだが、昨日の衆議院解散で、一気にひっくり返されたのである。

とにかく、あまりにも無謀な「強行採決」的展開が回避されたので、今回の「廃案」はとりあえず素直に喜ばしい事である。とはいえ一方で、「予算がない」事実は解散して選挙しても変わらない。当然選挙後の臨時国会か、来年の通常国会には、同じ法案が再び提出されるはずである。同じ流れを繰り返さないために、障害者やその支援者達の側にはどのような戦略が求められているのだろうか・・・。

色々「流れた」一日の最後、テレビの喧噪を見ながらそんなことを考えていた。

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2005年08月07日

分岐点

甲府の暑さでグッタリしていると、無意識下に押し込んだ「はず」の思わぬものが出てくる。今朝見た夢も、そして午後本を読んでいるときに急に思い出したエピソードも、どちらも僕にとってはすごくネガティブで、思い出したくもない類のものだった。向き合うのさえしんどくなるような、ちょっと“キツイ”ことを思い出していた。ただ、そのとき読んでいた本が、グログロとぐろを巻きそうになっていた僕の心を、現実に引き戻してくれた。

「自分の犯した間違いや欠点を認めるだけでもむずかしいのに、至らない自分に対する恥を克服してそこから学ぶのは、もっと難しい。だが、ハインツの例が物語るように、リーダーとなり、良い人生を生きるためには、それは欠かせないことなのだ。」(「ハーバードからの贈り物」ランダムハウス講談社、p115)
http://www.randomhouse-kodansha.co.jp/catalog/2004_015.html

ハーバードビジネススクールでは、教授陣が学期の「最終授業」の最後の数分間に、自分の経験に基づいたアドバイスを若者に語りかける伝統がある。本書はその「逸話」を選りすぐった文字通りの「贈り物」なのだ。一昨日でかけたジムで手にしたビジネス雑誌で紹介されていて、早速本屋で買って、今日読んでいた。一つ一つが数分の話なので、読んでも短い。だが、内容の密度の濃さに唸ることの多い本だ。

引用したナンシー・F・ケーンの略歴もこの本で初めて知ったくらい、またハインツといえば食品会社大手、くらいの知識しかない、僕は経済には全くの門外漢である。でも、ナンシーが徹底的に調べた起業家の一人であるヘンリー・ハインツの話に引きつけながら学生に伝えようとしたメッセージは、僕にもビンビン伝わってきた。「自分の犯した間違いや欠点」「至らない自分に対する恥」を認めるだけでも嫌だし、ましてや直視して克服するのは、確かに本当に大変なエネルギーが伴う。だけれども、リーダーでなくとも、「良い人生を生きるためには、それは欠かせないことなのだ」と僕も心底思う。自分が放ったらかしにしておいた問題は、まわり回って必ず自分の元に返ってくる。ならば、その問題から逃げずに、どうしたら二度と同じ陥穽にはまらずに済むか、少しは至らない点を改善するために、今何から始めればいいか、を真面目に考えることは、すごく大切だと思う。当たり前のことが書かれていて、僕がここに書いている事も大変基本的なことなのだけれど、その基本を実践できるかどうか、がその人の分岐点なのだな、と感じている。

そういう意味で、僕は30という年齢で、また一つ、分岐点にさしかかっている。20代で繰り返して来た「間違いや欠点」「至らなさ」をどうクリアして、一つずつ、目指すモノに向けて実践を積み重ねていけるか。それが問われているな、と感じる週末であった。

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2005年08月05日

「異国」と異邦人性問題その2

実は、と告白するのだが、車の中で、結構聞いているのが「中島みゆき」だったりする。このHPを作ってくれているmamnag氏と高校時代からの付き合いなのだが、一年後輩の彼が写真部に入ってきてすぐに、僕に勧めてくれたのがきっかけだった。以来、怪しい薬のように体中が反応してしまい、浪人時代などはウォークマンに入れて、行き帰り毎日「みゆき漬け」の日々。今でも、心身ともに疲れ果てた時などはかかせない。「えっ、あんな暗い歌を、浪人生とか疲れている時に聴いたらよけい落ち込むやろう?」 それは彼女にはまったことのない人が言うセリフ。本当に聞き込んでいると、彼女の、特に昔の時代の真っ暗路線の曲には魂がギッシリ込められていて、聞いていると、歌詞も曲調も声色も暗いのに、なぜか僕は元気が出てくるのだ。

で、以前旅行用に作ったMDLPに40曲以上ギッシリ詰め込んだ「私家版中島みゆきスペシャル」を、今日もアクセラ君で帰りしな、聞いていた。そこで、今日の一曲は「異国」

「悪口ひとつも自慢のように ふるさとの話はあたたかい
忘れたふりを装いながらも 靴をぬぐ場所があけてある ふるさと

しがみつくにも足さえみせない うらみつくにも袖さえみせない
泣かれるいわれもないと云うなら あの世も地獄もあたしには 異国だ

町はあたしを死んでも呼ばない あたしはふるさとの話に入れない
くにはどこかときかれるたびに まだありませんと うつむく

百年してもあたしは死ねない あたしを埋める場所などないから
百億粒の灰になってもあたし 帰り仕度をしつづける」
(アルバム「生きていてもいいですか」より 1980年)

いいねぇ、と思いながら、聞いていて、ふと考えていた。それは、前回のブログに書いた「異邦人性」の問題だ。「異国」の主人公は、狂おしいほど「ふるさと」に憧れている。「百億粒の灰になっても」「帰り仕度をしつづける」くらい、ふるさとが自分を受け入れてくれるのを待ち続ける。これ程までに、濃い「ふるさと」への愛憎半ばする思いの深さ。これが発売されたのは今から25年前の昭和55年。このころまでなら、「町はあたしを死んでも呼ばない」ほどの村八分や、そこから追われて(勘当されて、蒸発して・・・)都会に出てきた者の悲哀、というのに、リアリティがあったのかもしれない。だが、昔ながらのコミュニティが崩壊しつつある、といわれる2005年の今、この「あたしを埋める場所」への強い気持ちを持つ人が、どれほどいるのだろう・・・。地域福祉を考えるに当たって、この部分がよくわからいのだ。

ただ、これを大学と学生の問題に置き換えると、ちょっと様相が変わってくる。今、僕も学生と接していて、大学への帰属意識や、それに限らず自分の大学を「好き」と思う学生、「この大学に入ってよかった」と満足している学生、がどこの大学でも減ってきているのではないか、と感じている。自分自身への低い価値付けと共に、大学への愛着や所属感、も希薄な学生さんが、少なからぬ数、いるような気がするのだ。これは、大学における「異国」問題であるような気がする。

だからといって我が大学は「しがみつくにも足さえみせない うらみつくにも袖さえみせない」ような大学ではない。それとは逆で、学生サービスを真剣に考える教員がすごく多い大学だと、お世辞でなく、本当に思う。ただ、「しがみつく」「うらみつく」ほどのエネルギーを大学に傾ける前に、簡単に諦めてしまう学生さんが、どうも少しずつ増えているのではないだろうか? はじめの一歩、を踏み出す事さえ躊躇して、「どうせ俺・私はアホやから」「出来ない」と決めつけている、そういう学生さんを、以前教えていた大阪の大学でも、この大学でも見ている。これはものすごく勿体ないことだ。なぜって。スルメでもしつこく書いてきたのだが、学生さんが低い自己規定する事によって、自己暗示と自己への束縛を強めているような気がするのだ。つまり、はじめの一歩を踏み出さないばっかりに、自分をどんどん低い状態におとしめてしまい、それが在学中に助長されていくような気がするのだ。

そこで、私たち教員の側の、支援の力量が今、問われていると思う。大学でstrangerの気分でいる学生、ハスに構えいる学生、「しがみつく」「うらみつく」ほどのエネルギーを喪失している学生、彼ら彼女らが活き活き出来るように、学生をエンパワメントしていく必要があると思う。その際大切なのは、彼らが単なるサービス受益者でありお客様である段階ではダメで、大学における自身の役割と尊厳がしっかりあって、謙虚な自信を持ち、主体的に「関わり」を求めてくる、そんな学生へと、どう変身を手助け出来るか、だ。「この大学はおもろい」「ここにおったら自分のためになる」そんなインセンティブの提供の中で、学生の持つ異邦人性が解体され、大学生としての自覚と矜持が生まれると思う。

「忘れたふりを装いながらも 靴をぬぐ場所があけてある ふるさと」

こんな大学を今も、そしてこれからも作り上げていくために必要なことは何か。これも夏休みの大いなる宿題の一つだ。

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2005年08月03日

異邦人性

今日はスウェーデンからの来客がこられる。

お昼に「小作」にて甲府名物「カボチャほうとう」をお勧めする。クーラーが効いた部屋だけれど、フーフー言いながら、みんなで食べながら議論。スウェーデン社会における移民問題についてやりとりをする。移民への適応政策や手厚い福祉施策を講じても、言語的・文化的ハンディを背負った大人達は壁を越えて社会に適応できず、結局自文化の殻に閉じこもってしまう。そして、その影響が、異文化にも適応しようとしている子供への抑制にもつながる・・・そういう話を伺っていた。スウェーデンに限らず、ロンドンのテロでも英国籍の第二世代・第三世代の問題が指摘されていたが、同じ様な問題がスウェーデンでも起きているようだ。

実は、この問題は全く他人事ではない。例えば僕はよく激安商品を求めて業務用スーパーに出かけるのだが、甲府でもそういうスーパーに行くと、たくさんの外国人を見かける。精密機器などの工場労働に従事している日系人や、歓楽街で働くアジア系の人々など、多くの外国人が甲府でも働いて、生活している。そんな外国から甲府に移り住んだ人々の子供達への教育支援の問題や、あるいはその親世代で日本語がままならない人々の生活上の支援など、多くの地方都市で外国人支援の問題が顕在化しつつある。そういえば、外国籍の子供達を支援している現場に阪大時代の仲間が何人か携わっており、支援の内容も重要性も年々拡大し続けている、という話を伺ったことを思い出す。

もう一つ、自分事に感じたのは、スウェーデンで半年暮らしていた時の経験だ。あのときは僕はまさに「外国人」だったのだが、母集団以外の社会への溶け込みにくさ、を感じた。色々な段階があるのだが、まず言葉の壁。僕たちはルーズで結局英語で通してしまったため、言葉が出来ないことによって本当に閉ざされた感覚があった。次に、「ためらい」の壁。それは言葉が出来ない事とリンクしているのだが、自分たちの価値観や考え方と違う集団に合わせたり、その一員として振る舞うことに、何となく躊躇してしまうのだ。「ここではどうせ外国人だし」という異邦人性が、別の社会では常時くっついている。すると、コミュニティへの愛着や帰属意識を持つことは出来ない。

もっとも、この異邦人性、つまりコミュニティへの愛着や帰属意識のなさは、単にスウェーデンという外国だから、という訳ではない。日本にいても、実は生まれ育った京都への帰属意識(京都出身だから)というのはあっても、それ以後住んだ茨木や西宮でもコミュニティへの愛着や帰属意識は、残念ながら持てなかった。甲府でもまだ持てずにいる。もちろんそれは、子供がまだいなかったり、持ち家ではなく賃貸だったり、引っ越して半年もたっていなかったり、という様々な事情が重なっているとは思う。ただ、自分自身が地域で「根無し草」的状態であるのに、よく地域福祉を教える側に立っているよなぁ、と実の所、思っていたりする。甲府では自治会活動が今でも立派に存在しているのだが、僕自身は、自治会活動に参加しなくてもよい、と言われて今のマンションを選んだ。つまり、住んでいる町への「所属感」を持とうとしなかったのだ。この所属感のなさ、は、その町への、そしてその社会への愛着の低さ、にもつながるんだろうなぁ、というのは容易に想像できる事だ。すると、甲府やスウェーデンでのstranger達がどんな思いを馳せているのだろうか、というのは、決して他人事ではなく想像出来てしまう。

では、そういう人々を、コミュニティはどう受け入れていけばよいのか? もちろんそう簡単に答えが出る問題ではない。事実、地域福祉の大きな課題でもある。ただ、今日議論している時はきちんとまとめられていなかったのだけれど、地域福祉の問題を考える際、ニューカマーの人々に、どのようにその地域の問題に自分事として参画してもらうか、が鍵である、と思う。ニューカマーは往々にして「お客様」であったり「サービス受益者」であるが、サービス提供者側になりにくい。正直それでは、その街のことを主体的に考えにくいのでは、と思う。例えば小学校のPTAに外国人の会長がいたっていい。自治会活動に色んなニューカマーが積極的に「おもしろい」「自分達家族の為になる」という活動を取り入れることも大切かもしれない。そういう、ニューカマーにも役割と尊厳がきちんと提供される中で、いつの間にか異邦人性が消えていくのではないか。茹だるような暑さの中で、そんなことを考えていた。

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2005年08月02日

挨拶と組織文化

ようやくコーヒーが身体に効いてきたのか、頭が回り始めた。

昨日はある先生にごちそうになり、お店をハシゴする。ほとんどビールしか飲んでいないのだが、ひどく身体がだるい。これは単純明快な「二日酔い」。それに運動不足まで重なって、ダルい朝なのだ。身体がだるいと、それはすぐに心にも伝染して、一気にやる気が失われてしまう。結局研究室に朝からいるのに、今までぼーっとネットをしたり、本を読んだり、だった。そういえば、新大阪駅構内の本屋でみた何かの本のタイトルに「机とパソコンを無くせば営業成績が上がる」というようなフレーズがあったが、確かにさっきまで僕のような状態だと、机とパソコンは何もしないための言い訳として通用する、といわれても、仕方ない。でもね、時計の針が午前10時を指す頃、ようやく頭の電源も入りました。今週はテストの採点もあるし、明日はスウェーデンからお客さんを研究室に迎えるし、そろそろ報告書のまとめもしなくちゃいけないし・・・と書き付けながら自分を鼓舞している。頑張るのですよ、タケバタ君。

で、頑張るのですよ、といえば、今日は僕の研究室がある建物の4階に高校1,2年生の皆さんが集まっている。夏休みのお勉強会だそうだ。みずみずしいエネルギーが詰まった高校生の皆さんと、朝、入り口で一緒になる。皆さん口々に「こんにちは」と気持ちよい挨拶をして下さる。何だか、すごく嬉しい。実はこの大学に入ってちょっと寂しいのが、多くの学生さんと「すれ違う」のだが、「こんにちは」と挨拶する、ことがあまりないことである。まあ、確かに僕も大学に入ったあと、あんまり挨拶することはなくなった。でも、この前模擬授業で訪れた高校では、皆さん挨拶して下さったし、半年間住んでいたスウェーデンでも、特定の建物の中では、知らない人でも目が合ったら「ヘイ!」なんて言い合っていた。そういう視点で眺めてみると、大学教員として甲府に来て、授業期間中は多くの学生さんにすれ違うのだけれど、教職員で挨拶をすることがあっても、学生さんと挨拶することはない。教職員と言ってもまだ面識がない方々がほとんどだが、大人(の格好をしている)人には会釈や黙礼をするのに、なぜか学生には挨拶しない。僕も学生もお互い何となく目を合わせず通り過ぎていくような気がする。これってすごく寂しいことだ、と前々から何となく気になっていたけれど、今日、見ず知らずの高校生に挨拶をされて、強く問題に感じ始めた。

そういえば、さっき何気なく読み返していた本の中でも、元宮城大学の学長である野田一夫氏が、大学開学時に「キャンパス内では、行き交う人同士で挨拶をしよう!」と呼びかけたことが、宮城大学の慣習、そして文化に高まっていった、と言っていた(「『革命』にかける7人の男たち」佐藤豊著、本の森)。宮城で出来て、山梨で出来ない、なんてことはない。現に、高校生達は、挨拶をしてくれるのだ。それが、どうして大学に入ってきて、挨拶しなくなるのか。ほんとは挨拶したいけれど、誰も挨拶しかけてくれないから、気まずくて、恥ずかしくって、挨拶を返してくれなかったら嫌だなぁ、なんて思っているうちに、挨拶しないことが「当たり前」になっていくのではないか。あ、でもそれって、あそこと同じだよなぁ・・・と連鎖反応は続く。

今、ある福祉組織で定期的に職員研修のお手伝いをさせて頂いている。新人だけでなく、施設長や幹部職員含めた全ての職員を対象にして、その施設が今陥っている構造的問題に立ち向かうための、一人一人の職員をエンパワメント(力づける)ためのお手伝いだ。実はその現場で今年の初め、全職員にインタビューを行い、その結果を発表したのだが(詳細は「論文・記事」のコーナーにあります)、その発表会の席で、ある職員の方がこんなことを言っていた。
「この組織では、『おはようございます』の挨拶がない。僕はするんだけれど、あまり返してくれない」
出勤時、スタッフルームに入る際、お互いあんまり挨拶をしあわない。先に来た人は、黙々と仕事をし、後から来た人は黙って更衣室へ向かう、という光景がある、というのだ。この指摘を受けた後の4月以後、少し挨拶をするようになった、という話も聞いたのだが、7月末の職員研修の場でその話を聞いたとき、再び挨拶をする人は少なくなった、というのである。でもその一方、新入社員のスタッフはいつも笑顔で挨拶してくれるので嬉しい、なんていうエピソードも伺った。

僕はこの挨拶というのは、結構根元的な問題の一つでもあるような気がしている。少なくとも挨拶をしあうことで、人と人との間の交流が出来、それが組織的に自然に生まれてくることで、良いエネルギーが流れ出す。すれ違いざまに「こんにちは」というやりとりをする事、それを通して、お互いが同じ場を共有する事を認め合い、その現場でお互いより良く・気持ちよく過ごしていこう、という契機が生まれて来る。このように、社会的に構成されていく現場において、気持ちよい一日を過ごすための原始的なツールとして挨拶が機能している、とは言えないだろうか。そして、このツールが使われなくなった組織は、大学であれ、福祉組織であれ、気がつけば内部での結束やその組織への愛着心が薄れ始めるのではないか・・・文字にしてみれば実に平凡なこの事実に、ようやく僕は向きあいはじめている。

そんな挨拶一つで、と言われるかもしれないが、そういう何気ない身体感覚に基づいた「常識」の変容こそ、文化形成に与える影響は計り知れないものがあるのではないか、と感じるのだ。
「能書きはわかった。じゃあタケバタはどうするねん?」
簡単です。今日から学生さんにも、すれ違いざまに、ちゃんと挨拶をしようと思う。ドドッと人とすれ違う時は大変かもしれないし、気後れするかもしれないけれど、出来る限り目があった人には挨拶しよう。こういう原始的なことの繰り返しの中から、組織文化が変わるきっかけが生まれたら、所属している人間にとって、これ以上気持ちのよいことはないのだから。高校生に、ええことを教えられてしまった。

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