「一番病」と「魂の植民地化」

鶴見俊輔の対談を読んでいて、すごくアクチュアルに響く表現が出てきた。彼は、自分の父で戦後に厚生大臣になった鶴見祐輔のことをさして「一番病」である、と喝破する。

「そもそも親父は、勉強だけでのし上がってきた人だったんだ。貧しい生まれで、一生懸命に勉強して、一高で一番になるところまではきた。それで後藤新平の娘と結婚したんだ。そうやって勉強で一番になってきた人だから、一番になる以外の価値観をもっていない。そういう一番病の知識人が、政治家や官僚になって、日本を動かしてきたんだ。」(『戦争が遺したもの』鶴見俊輔・上野千鶴子・小熊英二著、新曜社、p16)
「みんな知識人になろうとして、試験で模範答案を書こうとする。だから自由主義が流行れば自由主義の模範答案を書き、軍国主義が流行れば軍国主義の模範答案を書くような人間が指導者になった。そういう知識人がどんなにくだらないかということが、私が戦争で学んだ大きなことだと思う。」(同上、p17-18)
「一番病」の知識人にとって、自らの言説の論理一貫性よりも、「一番になる」ことの方が優先順位が高い。普通考えれば、自由主義と軍国主義は全く違うベクトルを向いていて、同じ人がその言説を変えることは、その論理を心の底から信じるなら、文字通りの「転向」になるほど、身もだえの苦しさがあってもおかしくないことだが、それを「知識人」達は易々とやってのける。それは、彼らにとって「知識」とは「一番になる」ための「模範答案」であり、「一番になる」という究極の目的のための「手段」にしかすぎない。だから、その時々で、「一番」になれるために、「知識」を入れ替えていく。それが、真逆の価値であっても、そんなのはどうでもよい。大切なのは、「知識」の価値や論理の首尾一貫性ではない。自分が一貫して「一番なる」ことができるかどうか、が最大の関心事なのだ。
僕自身は幸いにも、このような論理構造には陥っていない。だが、大人になって、賢くて優秀なはずの「知識人」たちが、論理矛盾する事を平気で口にするのを垣間見て、理解できない場面に何度か遭遇する。その度に、その人の論理一貫性の崩れを指摘するが、相手は全く意に介さない。あんなに賢い人が、なぜ論理矛盾に平気なのだろうか、と疑問だったが、「一番病」という概念を聞いて、氷解する。つまり、論理一貫性よりも、「一番であること」のほうが、自分の価値前提としての優先順位が上なのだ。であれば、論理の崩れをいくら指摘しても、相手には響かないのである。だって、論理を一貫したところで、今は時流が変わり、それを主張しても一番になれないから、である。その時々に「一番」になることだけを気にして、いくら論理矛盾や嘘をついても、そのことを気にしない。そういう論理構造の人々が、「政治家や官僚になって、日本を動かしてきたんだ」というのは、戦後70年経っても変わらない事態だと感じる。(そのささやかな観察記録は、ブログネット上の論考に書いている。だがこの論理矛盾を突く批判は、一番病の人には、痛くもかゆくもない指摘である、と今ならわかる。)
この「一番病」には、どのような構造的背景があるのか。それをぼんやり考えていたとき、書架から一冊の本が「おいで、おいで」しているのがわかった。久しぶりに手に取った本を再読して分かったこと、それは「一番病」には、「蓋」と「箱」が機能している、ということだ。
「社会でよりよく生きるために、自分の本性に『蓋』をして、獲得された人格を懸命に生きようとする場合、もっとも恐れるのは、自分本来の本性を覗き見ることであろう。自分でも本性の姿を忘れてしまえるほど分厚い『蓋』を構築し、社会の期待する自己を首尾よく演じた場合には、もはや自分自身の本来の魂は、暴力的な発露の機会でもうかがう以外に表出する可能性はまずない。あるいは、それが内側に向かって蓄積されてゆく場合には、身体を蝕み、自己の崩壊を招く。」(『魂の脱植民地化とは何か』深尾葉子著、青灯社、p24)
「一番病」とは「社会の期待する自己を首尾よく演じ」ることである。その為に、「自分の本性に『蓋』をして、獲得された人格を懸命に生きようとする」ことである。僕の最初の単著、『枠組み外しの旅』を導いて下さったお一人であり、この本も含まれた「叢書 魂の脱植民地化」の第一巻を書かれた深尾先生の著書を読み返して、改めて「一番病」とは、「自分でも本性の姿を忘れてしまえるほど分厚い『蓋』を構築」する、「魂の植民地化」状態である、と気付く。この際、誰が植民地の支配者か、といえば、「一番」と評価する「社会」や「世間」である。その「世間」の評価する「模範解答」を書こうと「懸命」に頑張ることは、「自分本来の本性」=「魂」に「蓋」をすることである。その上で、魂とは切り離された部分で、「蓋の上の人格」を構築し、その「蓋の上の人格」が「社会の期待する自己を首尾よく演じ」ることによって、「一番」はとれる。だが、魂とは切り離されているので、その人の言説にはぶれがあり、時流の変化に合わせて主義主張が変わり、論理一貫性の崩れを指摘されても、「一番」を取るために平気で抗弁ができる。そこには、「蓋の上の人格」を生きる上での「箱」が機能している、と深尾先生は指摘する。
「『箱』とは『蓋』によって押さえ込まれた魂の上に出来上がった空間で、そこには何でも挿入できる『空箱』が用意されている。そもそも『魂』と断絶しているため、そこに注入するものは何でも良い。母親の期待、何らかの教条主義的思想、アイドルスター、さまざまな知識でもいい。要は自分自身を構成する何か都合の良いものをそこに充填して、あたかもそれが自分であるかのように同一視することが大切だ。先の多重の役割を演ずる人は、この『箱』がいくつかの部屋に分かれていたり、さらに偏差値が高く情報を収集するのに長けたタイプの人間は、箱がまるで蜂の巣の小部屋のように沢山用意してあり、その対象となる事象ごとに、必要な知識が分類していれてあり、必要に応じて、必要な箱を開けて情報を取り出すシステムになっている。(略) 当然これらの情報は『情動』とは断ち切られていて、それぞれの箱の中の情報の整合性に主たる注意が払われ、箱と箱の関連性については必ずしも十分に考えられているとは言い難い。」(同上、p287-288)
例えば冒頭の例を用いるなら、自由主義と軍国主義は、相容れない二つのイズム、である。だが、それを「知識」として「箱」の中に「収集」すると、どういう事が起きるか。「一番病」の人は、「必要に応じて、必要な箱を開けて情報を取り出すシステム」を活用する。だが、その「箱」の中に入っているものは、本来なら単なる情報や知識ではない。自由主義も軍国主義も、その人の魂や情動に結びついている時、それらの価値や思想を「生きる」ことができる何か、である。だから、自由主義と軍国主義を、何の苦しみもなく1人の人間の中で両立させることは、本来はできないはず、である。
しかし、「箱の中の情報の整合性に主たる注意が払われ、箱と箱の関連性については必ずしも十分に考え」ない人なら、話は別になる。軍国主義と自由主義の関連性を検討しないで、それぞれの「主義」の「整合性に主たる注意が払われ」るだけならば、ある優勢な「主義」の「模範解答」を書くことにのみ、エネルギーが注がれる。時流が変わり、別の「主義」が主流になれば、その別の「主義」の「箱」を引っ張り出し、その「模範解答」を書くことに、重きがおかれる。以前の主義と今の主義の「関連性」について、検討はなされない。なぜなら、そもそもその人にとって、そこは「空箱」であり、「『魂』と断絶」されているからだ。「魂」の一貫性は全く「蓋」がされていて、「一番病」を満たすための「知識」に専心し、「あたかもそれが自分であるかのように同一視すること」によって生き残ろうとする生存戦略だからである。
そういう人を、私たちは、「空虚な人」という。そう、沢山の「空箱」を抱えた人のことである。だが、沢山の「空箱」を抱えた「空虚な人」は、見た目ではそれとは逆の、エネルギッシュな人、に映る場合もある。深尾先生は、そういう人種を、次の様に描く。
「自分自身の魂に蓋をして、その閉じ込めたエネルギーで、前に進む。一見エネルギッシュで、精力的であるととらえがちであるが、当の自分自身は、重い蓋の下に閉じ込められているので、少しも楽にならない。どんなに努力しても、どんなに自分に欠乏しているものを求めても、そこには答は見いだせない。これはまさに本稿で示した『蓋の上の人格』そのものであるといえよう。しかし、蓋の上の人格が自分自身であると確信し、それにしがみつこうとしていた当時の自分自身には、永遠に解くことができない苦しみが、自分を取り巻く外部世界に存在し、それに対し、もがいてももたいても、より一層強く自分自身に襲いかかってくると、認識されていた。まさかそれが真の自分に対する『蓋』に由来するものであるとは、理解できず、何をやっても抜け出せない絶望感と徒労感に苛まれていた。これもまた本稿の冒頭に述べた『自己呪縛』そのものである。」(同上、p54)
「箱」の中身を次々に入れ替えて、世間の時流に合わせて「模範解答」を書き続ける。これは確かに、「一見エネルギッシュで、精力的であるととらえがちである」。でも、それで「一番」が取れても、何も安心ができない。なぜなら、『蓋の上の人格』を前提にしているならば、「永遠に解くことができない苦しみが、自分を取り巻く外部世界に存在し、それに対し、もがいてももたいても、より一層強く自分自身に襲いかかってくると、認識され」るからである。自分自身の魂ときちんと向き合う事なく、「自分を取り巻く外部世界」にのみ目を向け、その他者の目にのみ迎合的になり、自分自身に「蓋」をすると、「何をやっても抜け出せない絶望感と徒労感に苛まれ」るのである。だから、「一番病」の人は、一番をとっても、全然安心ができない。一番をとり続けるための「抜け出せない」不毛な戦いにエネルギーをどんどん吸い取られていくから、である。
では、この「一番病」や「魂の植民地化」状態から、どうすれば抜け出せるのであろうか。
「『蓋の上の人格』については、当然社会生活を送る上で必要なものだ、むしろ、『本性』のままに振る舞うような人間ばかりが跋扈するならば、社会は秩序なき混乱に陥ってしまう、といった反論が聞こえてきそうだ。しかし、本書では、そんな反論を想定しつつなお、『魂の声に従って生きる』ことの重要性を根幹に据える。なぜなら魂を封じ込めていかに知識や人格や能力を構築しても、そこには生きるエネルギーを創成する力は備わっていないからだ。」(同上、p295)
「他者への暴力や支配、ハラスメントのより少ない社会は、より大きなハラスメントや支配によっては決してもたらされるものではなく、暴力やハラスメントに荷担する個々人の魂を封殺する『蓋』を揺り動かし、その下に閉じ込められている魂を解放することによって実現に一歩近づくのではないか。我々は、暴力を組織化する言説化された世界を、直接攻撃するのではなく、その暴力を産み出す1人1人の魂が『生きられる』状態にするという『難行』を達成する必要がある。そしてそれにはまず、自らとその周辺の人々の魂が『生きられる』社会を自らの周辺に構築する、というこれまた至極困難な課題に直面せねばならない。」(同上、p296)
なぜ「魂の声に従って生きる」=「本性のままに振る舞う」ことが、ネガティブに捉えられるのか。それは、世間や同調圧力が求める「模範解答」に、唯々諾々と従う事を拒否するからである。「魂」に「蓋」をして、「蓋の上の人格」を生きている人々にとって、自分が必死になって従っている「模範解答」を易々と踏みにじることは、社会に「秩序なき混乱」をもたらす脅威に映る。だから、あらん限りの知識や権威を用いて、そのような「混乱」を阻止しようとする。それが、「他者への暴力や支配、ハラスメント」につながるのだ。
これに対抗するためには、「暴力やハラスメントに荷担する個々人の魂を封殺する『蓋』を揺り動かし、その下に閉じ込められている魂を解放すること」が必然的に重要になる。「生きるエネルギーを創成する力」を取り戻す為には、『魂の声に従って生きる』しかないのだ。「自らとその周辺の人々の魂が『生きられる』社会を自らの周辺に構築する」ことによって、「本性」のままに振る舞う人間が、消して「秩序なき混乱」を作り出す元凶ではない、ということがわかる。むしろ、「一番病」の人々が構築してきた「秩序」そのものが、砂上の楼閣であり、時流が変わればあっという間に180度変わる虚構である、と見えてくる。このような虚構的な秩序を「模範解答」として信奉する「自己呪縛」から抜け出すことが、必要不可欠なのだ。
「他者への暴力や支配、ハラスメント」といった「暴力的な発露の機会」は、「それが内側に向かって蓄積されてゆく場合には、身体を蝕み、自己の崩壊を招く」。少なからぬ「一番病」の人が、病に倒れたり、アルコールや暴力に依存したり、自死に至る危険性を抱えている。それは、魂と切れた虚構を追求するがゆえの、「蝕み」や「崩壊」なのである。
平気で論理矛盾する「政治家や官僚」を「直接攻撃」しても、彼ら彼女らは、その時流の求める「模範答案」を書くことに必死であり、論理破綻の指摘は、痛くもかゆくもない。肝心なのは、「個々人の魂を封殺する『蓋』を揺り動かし、その下に閉じ込められている魂を解放すること」である。そのためには、安直に聞こえるかもしれないが、僕自身が魂に「蓋」をせず、「箱」の知識をひけらかさず、「自らとその周辺の人々の魂が『生きられる』社会を自らの周辺に構築する」ことを愚直に実践するしかない。そして、この「蓋」の揺り動かしや「魂の解放」を通じて、「1人1人の魂が『生きられる』状態にするという『難行』」が実現される、ということこそ、実はリカバリーへの道そのものである、と感じ始めている。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。