共同体の「古層」にある内在的論理

最近、「偶然」の出来事のなかに、積極的な意味を見出そうとしている。(消極的なそれは運気を下げそうなのでしませんが・・・)

実は今日主題として取り上げる内山節氏の『共同体の基礎理論』(農文協)は、短期間で2冊、購入している。最初、12月のクリスマス前に買い求め、赤線書き込みをルンルンしながら読み進めていた。だが、暮れに妻と東京に遊びに行った際、朝7時過ぎに甲府を出た「かいじ」の11号車5番A席の前のポケットに入れたまま、置いてきてしまったのだ。なぜそんな特定の場所まで覚えているかって? その後、何度も何度もJRの忘れ物センターに電話をかけたのです。同じ本は買えても、書き込みまでは引き継げないので、僕にとっては「貴重」な一冊。取り返したい、と粘ったけれど、結局見つからず。で、泣く泣く再度買い求め、昨日から読み直していた。
だが、結果的には暮れに読み終えず、今の時期に読み直して、実に良かった。それは、昨日のエントリーでご紹介した『コミュニティのちから』の読後感に感じた、ある種の不全感とアクセスしていたからだ。
僕は基本的には、金子氏らの著作に敬意と賛意を示している。それは、昨日も今日も変わらない。「”遠慮がちな”ソーシャルキャピタル」概念を用いる事によって、イニシエーターとフォロワーの相互作用の中から、日本的な社会変革の実践例が出ていることが明確に示されていたのは読み応えがあったし、「7つのルール」も、僕自身が博論を書いているときに発見した「5つのステップ」と通底する実践的ツールだと思う。ただ、昨日の記事を早速読んでくださったある方から、フェースブックを通じて「7つのルールが実践的でわかりやすい」と書いておられたのに対して、こんな風に書いている自分がいた。
「確かにシンプルでわかりやすいし、ツールとしてはこのルールは使える、と思います。その一方で、ツール(=方法論)の自己目的化に堕してしまわないためには、何のために、という目的(=社会ビジョン)を常に意識化しておく必要があると思います。そして、そのボトムアップ型の社会ビジョンを考える際には、上記のツールだけでは足りない、ような気もするのです。自分達のコミュニティをどうしていきたいのか、についての、外在的論理ではなく、内在的論理が。そのあたり、明日あたりにまたブログに書き足してみようと思っております・・・。」
そう、金子ゼミの3人による『コミュニティのちから』は、あくまでも研究者が現地の方々の文献やヒアリングに基づいて、外から理解できる範囲での、外在的論理で整理したものである。ただ、その外在的論理はかなりの確度の深いものであるが故、他に応用可能性が高く、ひいては説得力が高い書籍として仕上がっている。だが、これは僕自身の博論の限界とも通底するのであるが、それでも外部の研究者のインタビューに基づく整理は、やはり事象の外在的論理は整理し尽くしても、その内在的論理に迫りきれない、と思い始めている。これは、単なる調査者ではなく、その現場の変革のアドバイザーとして、実践により近い立場から関わるようになった、この4,5年で特に感じていることである。一言で言うならば、コミュニティの変革って、そんなにシンプルでも美しいことでもない、もっと泥臭い何かが詰まったものである。その「泥臭さ」の論理、「泥臭い」なかに潜むそのコミュニティの自生的な論理としての「内在的論理」を掴まないと、実体にギリギリ迫る、ということにはならないのではないか、そう思い始めているのだ。
で、やっと冒頭の内山節氏の話に戻る。この哲学者は、群馬県上野村という人口1300人の山間の村と東京を往復する生活をしている。山梨で言えば、丹波山村や小菅村、早川町のようなところに拠点を構え、農業をしながら、著述を続けている哲学者である。共同体の一員として、お葬式を出すだけでなく、様々な活動にも参加し続けてきた生活者であるがゆえに、大塚久雄やテンニェス、マッキーヴァーの共同体論とは異なってくる。
「地域共同体とは何なのであろうか。地域というひとつのものにすべてのメンバーが統合されていると考える地域共同体論は正しいのだろうか。私が上野村や訪れた各地で経験してきた地域共同体はそういうものではなかった。共同体に暮らす人ではなく、共同体を観察した人達の地域共同体論の問題点が、そこにはあるような気がした。私は共同体は二重概念だと考えている。小さな共同体がたくさんある状態が、また共同体だということである。ひとつひとつの小さな共同体も共同体だし、それらが積み重なった状態がまた共同体だとでもいえばよいのだろうか。このような共同体を私は多層的共同体と名づける。」(内山『共同体の基礎理論』p70)
この「多層」性とは、複数の意味合いを帯びている。例えば山梨では今でも「無尽」が残っているが、この無尽を幾つか掛け持ちすることが、その人がいくつかの共同体から承認されている、「人びとの信頼を得ている」証である、という(p128)。また、こういった無尽や職能団体の寄り合いだけでなく、お祭りや信仰についても、部落毎に異なっていて、これも多層性を織りなしている、という。更に言えば、自然との折り合いも含めた多層性である、という。
「日本の共同体は自然と人間の共同体として、生の世界と死の世界を結合した共同体として、さらに自然信仰、神仏信仰と一体化された共同体として形成されていた。ここには進歩よりも永遠の循環を大事にする精神があり、合理的な理解より非合理な諒解に納得する精神があった。人びとは共同体とともに生きる個人でありい、共同体こそ自分たちの生きる『小宇宙』であると感じていた。」(p16)
そう、共同体こそが「小宇宙」だったのである。明治期以後の国民国家や廃仏毀釈、戦時統制、あるいは戦後の高度経済成長やその後のグローバリゼーションの到来で、この「小宇宙」は壊されていった。が、基本的には共同体は合理も非合理も含まれる、ブラックボックスとしての「小宇宙」であり、その中で、自然との折り合い、先祖や道祖神、様々な祭りや祈りとの折り合いをつけながら、集落の、あるいは仲間との、あるいは仕事の関係者との、多くの小さな共同体を作りながら、その小さな共同体が「小宇宙」と共振し合うなかで構成されていった。そこから、内山氏は、これまでのコミュニティ・共同体論には見られない、重要な指摘をする。
「自然と人間が結び、人間が共有世界をもって生きていた精神が、共同体の古層には存在している。それが共同体の基層であり、この基層を土台にして時代に応じた、地域に応じた共同体のかたちがつくられる。ゆえに共同体が壊されていくというとき、その意味は、自然と人間が結び人間達が共有世界を守りながら生きる精神が壊されていくことを意味する。(略) 共同体はその『かたち』に本質を求めるものではなく、その『精神』に本質をみいだす対象である。」(p32)
ゲマインシャフトやゲゼルシャフト、アソシエーションやコミュニティといった、共同体の『かたち』や機能別類型は本質ではない、と内山氏は言い切る。そうではなくて、自然も含めたその地域で、その時代を、地域の人とどう共に生きていくか、という「精神」こそ、共同体の古層であり、本質である、というのだ。だからこそ、共同体が壊れていく際、復活すべきなのは、「かたち」ではなく、「精神」である、ということになる。ただ、この「精神」は決して単なる過去を賞賛・過剰に称揚するようなものとは違う、現代にも(再)構築可能なものである、という。
「私たちがつくれるものは小さな共同体である。その共同体のなかには強い結びつきをもっているものも、ゆるやかなものもあるだろう。明確な課題をもっているものも、結びつきを大事にしているだけのものもあっていい。その中身を問う必要はないし、生まれたり、壊れたりするものがあってもかまわない。ただしそれを共同体と呼ぶにはひとつの条件があることは確かである。それはそこに、ともに生きる世界があると感じられることだ。だから単なる利害の結びつきは共同体にはならない。群れてはいても、ともに生きようと感じられない世界は共同体ではない。課題は、ここにともに生きる世界があると感じられる小さな共同体をいかに積み重ねていくか、なのである。それが積み上がっていけば、小さな共同体同士の連携もまた形成されていくだろう。ここに共同体があると感じられる時空も生まれていくだろう。」(p168-9)
「ともに生きる世界があると感じられること」。これが共同体の「精神」の本質である、という。その時、合理的な利害ベースではなく、自然災害も家庭問題も失業も、様々な矛盾や非合理をひっくるめた自然や隣人を、「ともに生きる」から、と分かち合う、そんな共同体の積み重ねが、共同体の再生には必須だという。その上で、社会の変革についても、次のように指摘する。
「システムを変えれば世の中はよくなるという発想から、それぞれが生きる世界を再創造しながら世の中を変えていくという方向に、変革理論自身が変動してきたといってもよい。(略) 道筋が、システムの変革からはじまるのではなく、生きる世界の再創造をとおしてシステムの変革も求めるという方向に変わったのである。」(p166)
この指摘は、介護保険の地域包括ケアシステムや、障害者の地域自立支援協議会という「システム」の立ち上げや運営促進の支援に携わってきた人間として、実に耳の痛い話である。だが、正鵠を射る指摘である、とも感じる。中央集権的で上意下達のシステム変更では、現場の地域福祉は立ち行かなくなっている。その中で、上記の地域包括ケアや自立支援協議会がうまくいっている地域は、システム変更を丸呑みするのではなく、その地域のローカル・ノレッジを組み込んだ形での、その共同体に合った形でシステムを取り入れていく営みが見られてきた。つまり、「ともに生きる」という時空や精神が共有されている土壌があって、「生きる世界の再創造」という目的のために、手段としてのシステム変更が加えられるのである。
ながーい道を辿ったが、この点が、先の手段の自己目的化の論点や、金子氏らの議論と対比した際の、内山共同体論の魅力なのである。
昨日のブログでも引用したが、金子氏は「社会活動の基本モデル」として、下から「個人」「組織」「制度」「社会ビジョン」という四つの層を示し、「それぞれの層は、一つ上の層を制約としている」と示している。また、この基本モデルは「インターネットの世界で基本とされている通信プロトコルの層別構造を示した「OSI (Open Systems Interconnection)参照モデル」を形の上で模して、社会活動を実行する際の社会的制約の階層構造を示したものである」(『コミュニティのちから』p295)という。実はこの仮想空間をモデルに作った「社会活動の基本モデル」に欠けていたものこそ、内山氏が共同体の古層とも呼んだ「ともに生きる世界があると感じられる」という「精神」だった。この「精神」は、目的合理性を持った「社会ビジョン」とは異なり、自分がそこに生まれた時に、既に親や先祖から伝わっている通奏低音であり「古層」である。だから、僕はこの「精神」は、四つの層の下に拡がる、ある種ユングの集合的無意識論と繋がるような「精神」である、と理解している。自我の下にあって、その共同体のこれまでの歴史やローカルノレッジを下支えしているけれど、普段意識することがない、そんな無意識であり「精神」である。これは、近代合理主義的な分析手法では析出されない何か、である。
だが、山梨や三重で幾つかの地域に関わって見えてくるのは、この第三者が外在的論理によって析出しにくいローカル・ノレッジが、確実にその地域の制度変革の成否に強く結びついている、という実態である。その地域の中で、どれだけ「ともに生きる世界があると感じられる」という「精神」が共有されているのか、そしてそれを「再創造」しなければならないという危機意識もどれだけ共有されているのか。その共有度の度合いによって、「システム変革」が表層的なものにとどまるか、起爆剤となるか、は大きく異なる。その「精神」の「古層」が、「個人」に憑依した際に、「ほっておけない」「何とかしたい」という「自分事」として関わるイノベーターを生み出し、それがフォロワーの渦を巻き込みながら、「組織」的な連携からやがて「制度」の変革へとつながり、結果として「社会ビジョン」の変化を後付け的にもたらすのである。そうすると、先に「泥臭い」何か、との述べた共同体の内在的論理としての「古層」=「精神」は、上記の4つの層を「制約」としているのではなく、逆にその層を規定し、揺り動かす為の集合的無意識としての役割をしている、とも言えるのかもしれない。
本当はここから、丸山圭三郎の「生の円環運動」論や、河合隼雄の「ユング心理学と仏教」との接続まで考えたいのだが、今はまだその力がないので、今日はこのあたりにしておく。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。