構造的制約を括弧に入れる (枠組み外し その5)

私は福祉現場でのコンサルタントやアドバイザーになるための、特別の経験というものをしたことがない。福祉現場で働いたこともない。ただ、少なからぬ現場で、ある程度長い期間のフィールドワークをさせていただいた。大学院生時代の5年間は精神科病院で、その途中からは精神医療の質向上に取り組むNPOで、またスウェーデン留学時には知的障害者の当事者グループで、あるいは重症心身障害者の地域生活支援の拠点で・・・。いろんな現場にお邪魔し、当事者や支援者の声に耳を傾け続けてきた。教科書的知識を吸収するよりも、現場で生起している現象を観察することに重きを置いてきた。それらの臨床の場での経験がある程度体内に蓄積した段階で、社会学や社会福祉学の「理論」と出会っていったので、現象から普遍を抽出する帰納的な理解で物事を眺め続けてきた。

それと似たスタンスで問題に取り組んだ先達がいる。たとえば社会学者ゴフマンの名著、『アサイラム』。1950年代のアメリカの精神病院をフィールドワークした上で、入院患者の相互行為や病院構造そのものの構造的問題を鮮やかに整理した名著である。だが、わが国の社会学者がゴフマンを下敷きにフィールドワークや考察をしたものを読んでも、なんだか理論を現実に演繹的に当てはめているようで、私自身が感じているアクチュアリティとの乖離に苦しんだ。当の『アサイラム』を読んでいないのに、孫引き的著作を読むだけで、その生みの親である『アサイラム』自体、読む価値のないものである、と錯覚していた。

が、ノーマライゼーションという思想について半年間講義をするチャンスに恵まれて、その関連で初めて『アサイラム』を読み込んでみると、原著の偉大さがビシバシ伝わってきた。たとえばこういうフレーズなど。

個人の自己が無力化される過程は一般に、どの全制的施設においてもかなり標準化している。この種の過程を分析することによって、われわれは、通常の営造物がその構成員に常人としての自己を維持させることを心掛けるとすれば、保証されなくてはならない仕組みはどんなものか、を知ることができるだろう。」(Goffman1961=1984:4)

ここから読み解けるのは、ゴフマンは精神病院や入所施設などの全制的施設で標準化されている「個人の自己が無力化される過程」を炙り出すことを通じて、そのオルタナティブ、つまりは「通常の営造物がその構成員に常人としての自己を維持させることを心掛けるとすれば、保証されなくてはならない仕組みはどんなものか」を析出することが出来る、というのである。

このことの意味は、決して小さくない。

今から60年も前、精神病者は隔離収容するしかない、というのが当たり前の時代。その当時に、その「当たり前」の現場でどのようなことが行われているかを観察し、他の現場とも共通する普遍的な「個人の自己が無力化される過程」を帰納法的に描き出した。しかも、それは単に研究のため、というよりも、その状況を改善するための、つまりは「通常の営造物がその構成員に常人としての自己を維持させる」ために必要な要素を対偶命題的に整理して伝えるための戦略だった。それは当時の常識から考えれば、あまりに非常識な、ある意味での「枠組みはずし」的な戦略だったともいえないか。精神病院というその当時のドミナントストーリー(=強固な枠組み・解決策)の中に入り込んで、そこで生起している現象や枠組みそのものを抽象的に描き出すことによって、その枠組み事態の問題点や、そうではない別の可能性を描くための要素を析出しよう、という試みだったのである。

それに対して、わが国で『アサイラム』に基づきながら議論をしている文献を見ていると、それは精神病院におけるミクロ行為論の分析が少なくない。私自身がそれらの論考に不満なのは、ミクロ行為論は、その行為が生起する場である精神病院という場自体を否定することなく、むしろその枠組みの強化にも役立つような分析になりかねない、という不満からかもしれない。もちろん様々な研究のアプローチがあってもよいので、他者の研究をとやかく言うつもりはない。だが、私は精神科病院で暮らす人々の生のリアリティと出会うところから、自身の研究がスタートした。そこに、「なぜ何十年も入院しなければならないのか?」「なぜ精神障害者の処遇はこんなに劣悪なのか?」という疑問や怒りといったものが、研究以前に存在していた。ゆえに、それをミクロ行為論の枠組みで分析して、わかったような気になる事は、出会った人々への冒涜のような気がしていた。同じく精神分析や臨床心理学の文献も、中途半端にわかったような気になって問題を矮小化したくないから、としばらくの間、読まないでいた。

精神病院という構造的暴力にもなりうる装置を、どうしたら縮小することが出来るか。精神病を持つ人たちの支援を、精神病院以外で実現していくためには、わが国ではどうしたらいいのか? 同じ全制的施設である入所施設の問題もどうしたらいいのか? 別の国ではどういう努力をしているのか? そういう関心を持ちながら関わるうちに、結局のところそれは社会学や社会福祉学という枠組みの中では解決しないので、福祉政策や行政学などの関連領域を読み漁らざるを得なくなっていく。

なので、前回のブログでも書いたが、いまだに自分の「専門」とは何か、がわからない。便宜的には福祉社会学とか社会福祉学とか言ってみたりする。あるときまでは、そのどちらかに依拠したい、とも思っていた。だが、去年からの枠組み外しの経験の中で、むしろそんな枠組みなどどうでもいい、と思い始めている。自前の言葉で枠組み規定してもよいのなら、「福祉現場の構造に関する現象学的考察」とでも言おうか。これは、ゴフマンがアプローチしたやり方にも、非常に似ている、と勝手に感じている。以下、少しそのことにも触れてみたい。

冒頭で、私は福祉現場のコンサルタントやアドバイザーになるための訓練を受けたことはない、と述べた。だが、私自身がフィールドワークという名目でいつもやってきたのは、福祉現場で生起しているリアリティを、ミクロ行為論で読み解くのではなく、その現場全体の構造の中で捉えようとする「福祉現場の構造に関する現象学的考察」であった。ここで敢えて「現象学的考察」と名づけたのは、その構造を分析する際に、まず理論や分析枠組みありきでは臨まない。ということだ。それよりも、生起しつつある事態に目をむけ、耳を傾け続ける。それも、エポケー(判断中止)の姿勢で、こちらの理論的枠組みという名の先入観に当てはめようとせず、なるべくその現場の文脈そのものを読み取る中から、焦点化されている事態を把握しようと努める。

これは恩師が研究者ではなく福祉ジャーナリストだった、というのが最大の理由だが、理論的言語で「わかったつもり」になるのではなく、「対象にぎりぎりと迫れ」と指導され続けてきた事が大きいだろう。「ぎりぎりと迫る」ためには、自らの仮説も捨てて、生起する事態にどっぷりとつかるなかで、その現場の臨床的知識から考察を立ち上げていくしかないのである。

そして、私のような現場で働いた経験もない若造がなぜ福祉現場の改善の仕事で呼ばれるのかの理由も、どうやら上記と連結している。一般企業が社会情勢や顧客のニーズの変化に合わせて淘汰や変容をするように、福祉現場も社会情勢や顧客のニーズ、政策の変化などに合わせた変容が求められている。だが、一般企業と違って、福祉領域は弱者救済という公的要素が強い分野であるがゆえに、なんとなく「ぬるま湯」的に残ってしまえる。さらにいえば、利用者と提供者の間の権力の非対称性が強い分野であり、「お世話になっている」利用者は文句を言いにくい、という前提があるため、なかなか現場の体質改善がしにくい。それに輪をかけるように、人員配置・報酬単価基準の低さや制度改革の重なりもあって、「目の前の対応に目いっぱい」で、問題があることはわかっているが、どこからどう変えてよいのかわからない福祉現場、がたくさんあるのだ。

その際、外在的理論や「あるべき論」を振りかざすのではなく、その組織なり地域なりの内在的論理を掴んだ上で、その内在的論理の方向を転換させたり、(再)蘇生させたり、という支援が求められている。「対象にぎりぎりと迫」るなかでその構造的問題を把握した上で、「ではどうすればいいのか?」の対案を、現場の人と一緒に模索し、デザインし、実践していく仕事。「枠組み構造」そのものを表面化・現前化させ、その構造的制約自体をもいったん括弧にくくり(エポケー)、あるべき姿と現実の落差の中で、何をどう変えていけば具体的に変容可能か、を考える仕事。

実はここまで書いていて気づいたのだが、私が出会う福祉現場では、「構造的制約自体を括弧にくくる」ということが出来なくて苦しんでいる場面が少なくなかった。一人一人の支援者レベルの実践については、その変容可能性は検討しても、組織なり制度なり地域としいった「全体像」事態は、変えられない所与の現実として、ある種の「宿命論的」に「しかなたい」と諦めている現場が、少なからずあった。その中で、私は無知蒙昧なのかオリジナリティがあるのか知らないが、この全体的構造に対する「宿命論的」な視点とも戦い続けてきたのかもしれない。本当に「しゃあない」のか? 変容可能性はないのか? 枠組み自体は問い直さなくていいのか?

福祉現場の「構造的制約」とは、今の日本社会の構造的制約に強い影響を受けている。特に財政緊縮が叫ばれる新自由主義的風潮が強まった2000年代以後、「納税者の納得」「公平・平等」を盾に、支援が必要とされる人々への政策を縮小しようとする「構造的制約」の風は強くなってきた。そんな時代背景の中だからこそ、その「構造的制約」自体を捉えなおし、現場レベルでも出来る対抗策、「あるべき姿」に向けたオルタナティブや改善をしていかないと、ますます現場は煮詰まるし、硬直化してしまう。そういう危機意識を持った現場の人々と、今ある素材を使う中で、今ない現実を作り出すための模索を、必死になって行ってきたのかもしれない。

なるほど、こう考えたら「枠組み外し」は私自身に深く根付いていた。

 

多分、つづく。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。