2008年05月28日:文字の向こうっかわ
  日曜の研究会で先輩の研究者から、「これ面白いよ」と貸して頂いた一本のビデオ。昨日学生さんに手伝ってもらってDVDにダビングして、その映像をチェックし始めたら、あまりに面白くて最後まで一気に見てしまった。その映像のことを書こうとネットで調べてみたら、何と一部がダウンロード出来るではないか! Living in the Freedom World: WarrenPersonal Stor…
2008年05月24日:議会と福祉
  5月11日のブログで、大阪の権利擁護に関する府単独の制度が財政再建を理由に廃止になりかけている事を書いた。その最後に、こんな内容で締めくくった。 「では、どうすればいいのか? そのヒントを今日の記念講演の話し手であった野沢さん(毎日新聞)が指し示してくださった。これは非常に示唆に富むのだが・・・そろそろおねむなので、続きはまたあとで。」 で、忘れてしまわないうちに、その示唆に富む話の…
2008年05月22日:東京と大阪の魅力的な会の告知+α
  ここ最近、肯定的であれ批判的であれ、制度や法律の激変の「後追い」をしている催しものが多い。それはそれで仕方ないのだが、本当に参加して充実する、オモロイ講演会なりシンポジウムって、やはりその制度の枠組みを超えた部分にある。こないだ紹介したNPO大阪精神医療人権センターのオンブズマン活動の講演会しかり。 で、そんな制度の枠組みに囚われない、本質的な議論や問題提起が聞ける講演会が、何と同じ…
2008年05月19日:「本歌どり」の効能
  「真にすぐれた作家はすべての読者に『この本の真の意味がわかっているのは世界で私だけだ』という幸福な全能感を贈ってくれる。そのような作家だけが世界性を獲得することができる。『コールサイン』のもっとも初歩的な形態が『本歌取り』である。(略)あらゆる作品は(音楽であれ文学であれ)、その『先行項』を有している。その先行項をどこまで遡及し、どこまで『祖先』のリストを長いものにすることができるか…
2008年05月18日:同一平面上からの跳躍
  ある言説を批判する際、その言説と対になる、という点で、同一平面上からの批判に陥る場合が少なくない。根元的な批判をしているつもりでいて、実は批判対象と同じ土台にいるということに無自覚な場合である。例えばこんな風に。 「旧改憲派は、自分たちをナショナルな他者、国内の他者との関係で自己同定化(アイデンティファイ)している。そこには国外的な他者との関係が脱落している。(略)しかし、旧護憲派も…
2008年05月11日:オンブズマン制度の危機
  今宵は天王寺のホテルの一室から。 土曜・日曜と勉強会や研究会で久々の来阪。それにしても、お昼過ぎに会場に入るために、6時28分甲府発の「ワイドビューふじかわ」に乗らねばならぬのはきつい。鞄の中には研究会の宿題やら、授業の予習関連の文献や資料をとりあえずどっさり入れてきたが、結局寝不足で静岡までうとうと。静岡でカプチーノを飲んで気合いを入れ直し、満員のひかり号でサクサクあすの研究会用の…
2008年05月06日:「どうせ」を超える可能性
  連休最後の日の甲府は初夏の陽気。連休中旬に出かけた小旅行の折、旅先で買った一冊が、この連休中の最大の収穫の1つだった。 「『可能性』という語は、二つの反対語に引き裂かれるようにしてしか使われない。不可能だという意味での『可能性』と、現実的だという意味での『可能性』である。そのどちらでもない、純粋な可能性というゾーンは、存在しないのだ。突然、記録を突破した者は、『可能性』という語に孕ま…