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2006年07月31日:あっという間に・・・
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7月も気がつけば怒濤のごとく過ぎていった。 6月末も〆切に追われていたが、今月も輪をかけるように〆切があったような気がする。詳しくは覚えてないが、講演のレジュメやら、査読論文やら、法律の翻訳やら・・・慣れない仕事が多いが、とにかく出来ればやってしまいたい、エイヤッ、と力づくでいろんなことに体当たりしてきた。 思えば事の発端は、数ヶ月前のこと。恩師の先生に、「ちゃんと調査で調べたものに…
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2006年07月30日:「越権行為」にならないために
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「被害者との同一化によって『告発者』の地位を得ようとする戦略そのものは別に特異なものではない。『周知の被迫害者』とわが身を同一化することによって、倫理的な優位性を略取しようとする構えはすべての『左翼的思考』に固有のものである。『告発者』たちは、わが身と同定すべき『窮民』として、あるときは『プロレタリア』を、あるときは『サバルタン』を、あるときは『難民』を、あるときは『障害者』を、ある…
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2006年07月24日:学恩の効用
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「先行研究に何も負っていないまったくインディペンデントな学術研究などというものは存在しない。だから、先行世代からの学恩に対して十分にディセントであること。先行研究がどれほど「時代遅れ」に見えようとも「短見」に映ろうとも、その先行研究があったからこそ、どういう知見が「時代遅れ」であり「短見」であるかが後続世代に明らかにされたのである。研究史外観や先行研究批判というのは、「こんにちは」の…
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2006年07月23日:「代訴人」と「本人」
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「今の私たちの世界に『神の代訴人』や『神の遺言執行人』を自称する人々はもうそれほど多くはないし、その名乗りを信じる人も少ない。しかし、『死者の代訴人』、『死者の遺言執行人』たることをみずからの倫理的責務であると信じている『善意の人々』は数多く存在する。かつてマルクス主義者は『プロレタリアと第三世界の被抑圧大衆』の前に恥じ入ることで、おのれの『政治的正しさ』を基礎づけ、知的威信を獲得し…
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2006年07月18日:出会いの有り難さ
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「師が弟子にもたらすもっとも重要な教えとは、何よりも、外部が存在することを教えることである。それは『師の現前』というそれ自体『外部的』な経験によって担保される。師は、なにごとか有用な知見を弟子に教えるのではない。そうではなくて、弟子の『内部』には存在しない知が、『外部』には存在するという知を伝えるのである。『師』とは何よりもまず『知のありかについての知』を弟子に伝える機能なのである。…
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2006年07月14日:運命へのチャレンジ
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ヘラクレイトスの「運命は性格にあり」という箴言に寄せて、池田晶子氏は次のように書いている。 「これはその人の性格が運命的に決まっているということではありません。その性格が、その性格によってその人をつくっているという、気がついてみると、あっと驚くほど当たり前のことなんです、運命は決してどこからか与えられているのではなくて、その人の性格そのものですね。(中略) 別の言い方をすれば、その人…
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2006年07月09日:身と心の大掃除大会
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週末、"わるいもん"を出し切っていた。 ここしばらくあれこれ仕事が重なり、口内炎だけでなく、身体のあちこちからSOSのサインが出されていた。挙げ句の果てに、他責的になりかけている自分がいた。"I am right, you are wrong." この文法だけは使いたくない、と思ったのに、他人のメールやら電話やらに思わずこの他責的修辞句を吐き捨てている自分がいた。いかんいかん、刺が出…
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2006年07月07日:ささら型と想像力
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昨日は授業の合間に近所の看護学校で一コマ「特別講義」。 なにやら「社会福祉演習」ということで、班毎にそれぞれ「生活保護」「老人福祉」「母子家庭」「身体障害者」などテーマを決めて調べてまとめているのだが、そのまとめに向けてアドバイスとなるような講義をしてほしい、とのこと。実は学生さん達の「中間レポート」が送られてくる前に授業のレジュメを送ってしまい、その後当日朝になって学生のレポートを…
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2006年07月04日:シュトルムウントドランクな日々
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シュトルムウントドランクな日々、なんていうと、ドイツ語を少しは知っているのか、と思われる。 自慢じゃないが、ドイツ語はからきしダメ。一応大学の時、第二外国語で取ってみたモノの、例の人称代名詞に合わせた定冠詞の変化、って奴について行けずに、最初からアウト。カントやウェーバーやフロイトを原書で読めたら、なんて淡い期待も、強い動機にならなかったので、全く興味を示すことが出来なかった。 大学…